石橋 絢彦
イシバシ アヤヒコ
明治・大正期の土木工学者
- 生年
- 嘉永5年12月(1853年)
- 没年
- 昭和7(1932)年
- 出生地
- 江戸
- 学歴〔年〕
- 工部大学校〔明治12年〕卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔明治24年〕
- 主な受賞名〔年〕
- 勲五等瑞宝章,勲二等旭日重光章
- 経歴
- 明治12年より3年間英国に留学、主として灯台工事を研究。工部省灯台局、神奈川県庁を経て、43年工手学校長に就任。42年に架設した横浜市の吉田橋工事は日本初の鉄筋コンクリート工法を応用したことで知られる。日本の灯台事業の先駆者だった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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石橋絢彦 いしばし-あやひこ
1853*-1932 明治-大正時代の土木技術者。
嘉永(かえい)5年12月27日生まれ。明治13年イギリスに留学し,灯台などの海上工事をまなぶ。帰国後,工部省,神奈川県で灯台建築などにたずさわる。43年工手学校長。横浜市の吉田橋を改修し,44年日本最初のカーン式鉄筋コンクリート橋を完成させた。昭和7年11月25日死去。81歳。江戸出身。工部大学校卒。本姓は中村。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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