吉田橋(読み)よしだばし

日本歴史地名大系 「吉田橋」の解説

吉田橋
よしだばし

[現在地名]中区吉田町・港町四丁目

派大岡はおおか(中村川)に架かり、関内かんない関外かんがいとを結んだ橋。安政六年(一八五九)に横浜開港に際して開かれた東海道と横浜町を結ぶ横浜道の横浜町への入口、吉田新田よしだしんでん村の北端太田屋おおたや新田の西端に架設された。長さ三六間、幅三間。橋材は杉と松で三年ももつまいと噂された(「雑記」大日本維新史料稿本)。文久二年(一八六二)本橋に架け替えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の吉田橋の言及

【橋】より

… 日本近代橋梁の歩みは明治の文明開化とともに始まった。最初の鉄の橋は,1868年(明治1)の長崎のくろがね橋で,その翌年には横浜にも吉田橋が架設された。初期の鉄道橋は木造トラスであったが,これもまもなく鉄製に移行する。…

【横浜[市]】より

…大岡川とその支流中村川,それらに直交する掘割り,この三方の水路に囲まれた区域が港地区である。東海道に通じる横浜道が掘割りを渡るところに日本最初の鉄橋(吉田橋)が架けられ,その橋際に関所が設けられたことから,港地区を〈関内〉と呼んだ。今日でもこの関内地区に県庁,税関をはじめとする官庁や金融機関,貿易・海運関係の商社が立ち並び,横浜の中央業務地区を形成している。…

※「吉田橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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