石津庄(読み)いしづのしよう

日本歴史地名大系 「石津庄」の解説

石津庄
いしづのしよう

石津川河口周辺の「和名抄石津郷に成立した庄園で庄名は戦国時代にみえるにすぎないが、おそらく中世を通じて存在していたものと思われる。石津の名は「日本書紀」仁徳天皇六七年一〇月五日条に「河内の石津原に奉して、陵地を定めたまふ」とみえる。大鳥神社流記帳(内閣文庫蔵)は石津の名の起源を難波長柄豊碕朝廷(孝徳天皇)の御願による「伊岐宮」造営物資を讃岐国から運ぶ時、その着岸港として設定されたことに始まるとしている。「土佐日記」承平五年(九三五)二月五日条に「いしづといふところのまつばらおもしろくて、はまべとほし」とみえ、また「更級日記」に「その夜この浦を出でさせ給ひて、石津に着かせ給へらましかば」とあり、古くから港として機能したようである。建永元年(一二〇六)俊乗坊重源死去のあとを受けて造東大寺大勧進職になった栄西が、石津浦地頭に宛てた年未詳三月一六日の書状(中村直勝氏蒐集古文書)によると、周防国から奈良東大寺東塔建立のため運上中の用材が大風で石津浦に漂着したので、抑留しないように求めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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