日本歴史地名大系 「石蔵跡・薪張場跡」の解説
石蔵跡・薪張場跡
いしくらあと・まきはりばあと
石蔵は
「秋田沿革史大成」に、「石庫(川尻村内川口ニ建造、敷地凡ソ五十間四方)、是ハ雄・仙・平三郡ヨリ収納米ヲ積下ゲ貯蔵、米・豆ヲシテ藩士扶持方一般、又ハ士卒以下給禄ニ下ゲ渡サル、又此倉庫ノ内籾備等モ多分貯蔵セリ、又蔵守リヲ置ク」とある。扶持米の支給は石蔵とともに五丁目蔵から支給された。文化一〇年(一八一三)三月一六日の「町触」(秋田藩町触集)に「久保田諸士并軽き御奉公之者迄、為御米繰今年左之通被相渡候事」として、「一、当五月・六月分 三月中石倉渡。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報