石道村(読み)いしみちむら

日本歴史地名大系 「石道村」の解説

石道村
いしみちむら

[現在地名]川西市石道・清和台東せいわだいひがし清和台西せいわだいにし

虫生むしゆう村の北に位置する。

〔中世〕

多田ただ庄のうち。弘安元年(一二七八)多田院金堂上棟に際し、「石道進士入道」と同所小源二・方至紀五が寄合いで「馬一疋」を引進めている(「金堂上棟引馬注進状」多田神社文書)。正和五年(一三一六)多田院堂塔供養には警固御家人として石道から源次景光と源八景重が金堂西側の仮屋に詰めていた(「多田院堂供養指図」同文書)。応安元年(一三六八)の金堂修理供養には石道進士入道跡と石道小源次入道跡から各々馬一疋代一貫文が進められており(同年四月八日「金堂供養御家人引馬注文」同文書)、少なくとも二人の多田院御家人がいた。延元元年(一三三六)塩川源太為中後家比丘尼めうけんは、多田院釈迦仏に「いしみちのはやしそいのむめのきかもと」の田一反を寄進した(同年四月二四日「尼めうけん等連署寄進状」同文書)


石道村
いしみちむら

[現在地名]木之本町石道

古橋ふるはし村の南、三谷みたに山西麓山地と谷口平地に立地。三谷山に発する瀬谷せだに川が、小山こやま村から流入する小山川を合せた後、西境高時たかとき川に合流する。野神塚のがみづか向山むかいやま九代くしろしよたになどに古墳が認められる。慶長七年(一六〇二)検地では田一二町九反余・高二〇一石余、畑五町九反余・高四一石余、屋敷四反余・高五石余(伊香郡志)。寛永石高帳では彦根藩領(幕末に至る)。元禄八年大洞弁天寄進帳では人数二四六、うち寺社方四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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