百科事典マイペディア 「破田村」の意味・わかりやすい解説
破田村【わりでんむら】
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尾張国葉栗(はぐり)郡の中世村落。現在,愛知県一宮市の旧木曾川町に内割田・外割田の大字名がある。1323年(元亨3)に〈破田荘〉とみえるのが史料上の初見。松枝荘内破田郷であったが,88年(元中5・嘉慶2)に初めて破田村とも記され,1421年(応永28)以降は破田村に統一された。平家没官領松枝保(荘)は,源頼朝の妹一条能保室から西園寺公経室全子(能保女)を経て公経に伝えられたが,1220年(承久2)仲資王家領北山の地と交換され,以後伯家(白川家)に相伝された。しかし南北朝内乱による半済と守護被官の濫妨の中で,本所分は伯家より,守護分は尾張守護土岐満貞より半分ずつ京都大徳寺如意庵に寄進され,伯家の年貢も如意庵が請け負うこととなった。伯家はその後借物が重なり,ついに1409年(応永16)260貫文で破田郷を如意庵に売り渡した。領家如意庵は,守護方給人設置を排斥し,27年(応永34)には守護不入地と認められた。大徳寺如意庵領としての終末所見は,84年(文明16)足利義政御教書。
執筆者:旭 澄江
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