コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

西園寺家 さいおんじけ

4件 の用語解説(西園寺家の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

西園寺家
さいおんじけ

藤原北家閑院の一流。七清華家の一家。公実の3男通季が祖。承久の乱後,通季の曾孫で親幕派の公経が,鎌倉幕府の後援を得て朝廷の実力者となり,以後幕府滅亡まで,摂関家をしのぐ勢力をもった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

西園寺家【さいおんじけ】

藤原氏北家の支流。清華(せいが)家の一つ。北家閑院(かんいん)流の公実(きんざね)の子通季(みちすえ)〔1090-1128〕を祖とし,通季の曾孫公経(きんつね)が京都北山に西園寺を営んでこれを家名とした。
→関連項目宇野御厨鳥養牧沼田荘破田村

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

さいおんじけ【西園寺家】

藤原氏北家閑院流の公実の男通季を始祖とする堂上公家。家格は摂関家に次ぐ清華家。琵琶の家。公経(きんつね)が将軍源頼朝の姪(一条能保女)をめとって武家に心を寄せ,承久の乱をいち早く幕府に内報したことから幕府の信任を得て,一躍権勢を振るうに至り,乱後,家例を超えて従一位太政大臣に昇り,公武間のことを取り次ぐ関東申次(もうしつぎ)の職につき,また孫姞子を後嵯峨天皇の後宮に入れ,姞子の生んだ後深草・亀山両天皇の外戚となったことから,摂関家をしのぐ勢威を得るに至った。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

西園寺家
さいおんじけ

藤原氏北家(ほっけ)閑院(かんいん)流。清華家(せいがけ)。琵琶(びわ)の家としても有名。平安末期公実(きんざね)の子通季(みちすえ)を祖とする。初め大宮(おおみや)と称し、鎌倉中期曽孫(そうそん)公経(きんつね)が京都郊外北山に西園寺を造営、以来家名となった。公経は承久(じょうきゅう)の乱(1221)に北条(ほうじょう)氏を助け、乱後その後援で代々太政大臣(だいじょうだいじん)になり、また女子を后妃に入れ外戚(がいせき)として五摂家をしのぐ権勢を示した。建武新政(けんむのしんせい)には一時衰亡したが再興し、代々大臣に昇進した。幕末徳大寺(とくだいじ)家より養子になった公望(きんもち)は明治維新に活躍し、侯爵を授けられ、さらに大正・昭和初期に元老として政界の重鎮となり公爵となった。建武新政の際に伊予に逃れた一族はその地で領主化し、8代経て戦国時代末、豊臣秀吉(とよとみひでよし)の四国征伐に抗し滅ぼされた。[飯倉晴武]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の西園寺家の言及

【今出川家】より

…藤原氏北家閑院流西園寺家の庶流。家格は清華。…

【清華家】より

…家格は平安時代末から徐々に形成され,鎌倉時代にほぼ固定して七清華といわれた。すなわち三条家(俗称,転法輪)をはじめ,西園寺家およびその分流の今出川(菊亭)家徳大寺家(以上,閑院家流),また花山院家および大炊御門(おおいみかど)家(以上,花山院流)の藤原氏北家の流れをくむ6家に,源氏の久我(こが)家を加えた7家をいう。ところが江戸時代の初め,一条昭良(後陽成天皇の皇子)の男冬基が醍醐家を,また八条宮智仁親王の子忠幸が広幡家を興し,ともに清華家に列せられ,九清華となったが,この両家より太政大臣に昇った例はない。…

※「西園寺家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

稀勢の里寛

1986- 平成時代の力士。昭和61年7月3日生まれ。中学卒で鳴戸部屋に入門し,平成14年3月初土俵。16年5月新十両,同年11月には18歳4ヵ月で新入幕をはたす。18年7月新三役小結,21年3月新関...

続きを読む

コトバンク for iPhone

西園寺家の関連情報