碇岩村(読み)いかりいわむら

日本歴史地名大系 「碇岩村」の解説

碇岩村
いかりいわむら

[現在地名]御津町碇岩

稲富いなどめ村の北、きた山の山麓に位置し、東町ひがしちよう西町にしちようからなる。天正一一年(一五八三)閏正月一六日の「いかりいわ百性中」宛の蜂須賀正勝折紙および同月二七日の「いかり岩罷出百性中」宛の牛田又右衛門折紙(ともに碇岩村文書)によると、龍野城主蜂須賀正勝は夫役・諸役を三年間免除し荒田の開発を奨励している。この特権は文禄年間(一五九二―九六)の領主小出吉政や石川光元においても継承されており、宛所には「政所」の肩書をもつ五郎左衛門尉の名がみえる(文禄三年四月六日「小川正吉等連署折紙」・同四年一〇月三日「岩田重綱折紙」同文書)。文禄三年六月五日の小出吉政に宛てた豊臣秀吉知行方目録(金井文書)には碇岩村一二九石余と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む