磨上ヶ原の合戦(読み)すりあげがはらのかっせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「磨上ヶ原の合戦」の意味・わかりやすい解説

磨上ヶ原の合戦
すりあげがはらのかっせん

天正 17 (1589) 年6月5日,陸奥国磐梯山の南麓,会津磨上ヶ原 (摺上ヶ原) で行われた米沢城主伊達政宗と会津黒川城主蘆名義広との合戦。その結果,勝利を得た政宗は南奥羽の覇権を確立し,一方敗れた義広は,同月6日黒川城 (のちの若松城) を捨てて常陸へ走り,蘆名氏滅亡を招来した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む