改訂新版 世界大百科事典 「蘆名氏」の意味・わかりやすい解説
蘆名氏 (あしなうじ)
中世陸奥国会津の領主。始祖は平姓三浦義明の子佐原十郎左衛門尉義連(よしつら)。平安期の本拠である三浦半島蘆名の地名を名字とする。義連が文治奥州合戦の功で源頼朝から会津を賜ったと伝えられるが,近年の説では鎌倉中期以降,北条氏の地頭代として会津に勢力をのばしたという。《葦名家譜》には1379年(天授5・康暦1)蘆名直盛がはじめて会津に下向し,84年(元中1・至徳1)黒川(のちの若松)を本拠に定めたとあるが,文書によれば蘆名一族はすでに南北朝内乱期から会津で活躍している。15世紀前半の盛政のころには会津守護とよばれて会津地方に君臨するに至り,1538年(天文7)国別に配付された後奈良天皇宸筆の般若心経は蘆名盛舜(もりきよ)のもとに下されている。盛舜の子盛氏の世に最盛期を迎えたが,その後は歴代の若死が続いて家中統制も弱体化し,蘆名義広(常陸の佐竹義重の次男)が89年(天正17)6月耶麻郡磨上原(すりあげがはら)の合戦で伊達政宗に大敗して滅亡した。
→蘆名盛氏
執筆者:小林 清治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報