磯永吉(読み)イソ エイキチ

20世紀日本人名事典 「磯永吉」の解説

磯 永吉
イソ エイキチ

大正・昭和期の作物育種学者



生年
明治19(1886)年11月

没年
昭和47(1972)年1月21日

出生地
広島県

学歴〔年〕
東北帝大農科大学〔明治44年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔昭和3年〕

主な受賞名〔年〕
日本農学賞〔昭和7年〕,大日本農会紅白有効賞,日本学士院賞〔昭和36年〕

経歴
台湾総督府農事試験場、同中央研究所から台北帝大助教授、教授となった。戦後も台湾に残り中華民国農林庁顧問を務め、昭和32年帰国した。この間、台湾における稲の日本品種改良従事、214種の品種を育成し、大正15年の“蓬萊米”は有名。これらの業績に対し日本農学会から農学賞、大日本農会から紅白有功賞が贈られ、昭和36年日本学士院賞を受賞した。3年「台湾稲ノ育種学的研究」で農学博士。著書に「亜熱帯における稲と輪作物」(英文)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「磯永吉」の解説

磯永吉 いそ-えいきち

1886-1972 大正-昭和時代の農学者。
明治19年11月生まれ。大正3年台湾総督府農事試験場技師,のち台北帝大教授となる。台湾のイネの品種改良につとめ,「蓬莱(ほうらい)米」を開発。戦後中華民国農林庁顧問をつとめ,昭和32年帰国した。「亜熱帯に於ける稲の育種に関する研究」で36年学士院賞。昭和47年1月21日死去。85歳。広島県出身。東北帝大農科大学(現北大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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