生物のもつ遺伝的形質を利用して、新たに人間に有用な特性をもつ動植物をつくりだし、育成かつ増殖を図ることをいう。品種改良と同義にも用いられるが、厳密にはそれよりも内容が広い。つまり品種改良が、既存の栽培植物や動物の増殖について、いままでよりも良質のものをつくることを目的としているのに対し、育種では、品種改良はもちろん、生殖質の探索、導入と保存、評価など一連の生殖質管理のほか、野生の動植物のなかから新しい栽培作物や家畜、家禽(かきん)、養蚕、魚類などの開発を試みることまで包含する。
いずれにしても、有用生物の生産量、利用部分の増大、流通加工性、広域適応性、耐病虫性、管理への適合性、そのほかの重要形質の向上を目的として、導入、選抜、交雑(交配)などによる育種はもちろん、倍数性や突然変異の利用、細胞工学、染色体工学、DNA組換え(遺伝子組換え)などによる育種方法が行われている。この場合、高等動植物あるいは微生物など対象となる生物の種類や、育種目標の違いによって、適用する育種技術が異なることが多い。
[飯塚宗夫]
旧石器時代、人類は自然にあるものを利用する狩猟や採集の生活を行っていた。それが新石器時代に入って野生の動植物の飼育や栽培を覚えた。農耕や牧畜が人類の生存のために効率の高い生産手段であることを知ってから、今日まで野生生物の順化(馴化(じゅんか))、生産性の高い動植物の選択、栽培や飼育技術の向上などが続けられ、有用な動植物を育成してきた育種の成果は大きい。
[飯塚宗夫]
地球上に存在する生物の種類は約数百万種といわれているが、そのうち人間に食用とされる植物は約8000種にすぎず、積極的に利用されるのは約2500種で、そのうち大規模には約150種が扱われ、さらに主食物生産に関与しているものは約20種である。地球へ到達する太陽エネルギーは、1年間に大気圏へは13.4×1020キロカロリーで、陸地へは6.3×1020キロカロリーといわれているが、植物が純同化に用いているエネルギーは6×1017キロカロリーである。このように太陽エネルギーを光合成によって有機物に変えることができる植物は、無限の利用価値を秘めている。未利用植物資源の開発は時代とともに進んでおり、また既成栽培種の物質生産性や多収性なども、光合成能の向上、気象、土壌、肥料など諸環境抵抗性、耐病虫性、そのほかの改良によって大きな進歩を遂げてきた。さらに特殊成分、品質の向上、労働生産性なども改良されている。植物は、今後さらに、食用、衣料用、建築用などの材料として、また医用、エネルギー用などの原料として期待され、育種の成果がまたれる。また、装飾用材として、色調、香り、草姿や樹姿など精神文化面での利用や、地球の砂漠化防止、汚染空気耐性の向上など、地球の緑地保護の面からの育種も、重要な課題として必要性を増している。一方、遺伝資源の保存体制が、世界的にも国内的にも整備され、育種を支えてきている。
[飯塚宗夫]
多くの野生動物の家畜化および飼育化と、それらの動物を利用しての生産性からみた育種の成果は大きい。肉、乳、卵、動物性繊維、薬品、そのほかの利用面でも、役用、愛玩(あいがん)用、実験用などの面でも大きな進歩を遂げている。食肉用の家畜は飼料摂取量が大きいため、人間が利用できる単位面積当りのカロリー量は、食用作物を直接栽培し、収穫物を食糧として摂取する場合よりも小さい。しかし、人間の利用できない植物カロリー源から良質のタンパク質を生産する家畜や家禽の意義は大きく、今後さらに飼養効率の高い家畜の育種が期待される。また、水産生物資源の枯渇化傾向に伴い、海洋牧場の開発とともに有用な魚類、貝類、甲殻類などの飼育化および品種育成の技術も進歩してきた。
[飯塚宗夫]
人間の微生物の利用は、意識的にも無意識的にもきわめて古くから行われている。みそ、しょうゆ、酒類などの醸造発酵に果たす役割は大きく、また自然生態系における老廃物の分解者としても注目されており、この面での積極的な利用や合成物質の処理者としての利用も期待される。遺伝子の組換え技術の応用が容易な微生物は、今後さらに育種が進められ、食品工業や医薬品工業などの分野での活用が期待される。
[飯塚宗夫]
育種対象の形質や特性によって育種技術も異なる。いずれの場合でも、育種目標を設定し、その目標を達成するために、もっとも合理的で効率の高い方法を選定するが、実際には次にあげる育種の諸方法を適宜組み合わせて行うことが多い。
(1)遺伝資源の収集と保存 整理・保存されている遺伝資源が多いほど、それらを利用して育種が進めやすい。収集はその生物の遺伝的変異の多様性の広がる中心地における野生種、半栽培型(原始栽培型)、栽培型のすべてについて行うのがよく、さらに2次、3次の変異中心地についても考慮が必要である。なお、遺伝子の貯蔵と利用は、その貯蔵所が銀行のような役割をもつことから遺伝子銀行とよぶことがある。また、貯蔵は種子に限らず、花粉でも一部の目的は達せられ、花粉貯蔵の場合は花粉銀行とよばれている。
(2)導入育種 諸外国の優良品種や特定の遺伝子をもった材料を導入し、検討して利用する。
(3)分離育種 雑駁(ざっぱく)な集団の中から利用目的に合致する形質をもつ個体を選び、品種育成する。
(4)交雑育種 両親の特定形質をあわせてもつ個体や、系統を育成しようとするときに行う育種法で、両者を交雑し、子孫のなかから目的形質をあわせもち、栽培性のあるものを選ぶ。この場合、栄養繁殖ができる作物は遺伝的固定の有無を問わず、1個体得られるとそれでよいが、種子繁殖をする作物では自殖や近親交配によって分離がなくなるまで純粋にする必要がある。そのため、さらに系統育種法、集団育種法、戻し交雑法、多交雑法などを適用し、雑種第二代(F2)以後も個体選抜と系統選抜とを繰り返し、目的形質をもった純粋種をつくりだす。
(5)雑種強勢の利用 遺伝的に純粋な系統(個体)間交雑を行うと、それからできる雑種第一代(F1)は強勢を示す。この特性を応用した育種を行う。自家不結実性や雌雄異株(花)性のある作物や雄性不稔(ふねん)性のある作物、また完全な人為交雑でも一つの交雑から多数の種子や高価な種子が得られる場合に利用される。
(6)突然変異の利用 X線やγ(ガンマ)線などの変異誘起性化学物質によって突然変異を誘起し、その形質を目的によって選抜して優良な品種をつくる、またそれを間接的に利用する育種である。
(7)細胞・染色体工学の利用 細胞融合による遠縁な植物間の合成種や、連続戻し交雑によって得られる核置換え個体に期待できる雄性不稔性、四倍体、三倍体、半数体などの正倍数性、二倍体(2n)に1本の染色体が加わった(2n+1)トリゾーミックや、二つ以上のゲノムをもつ二倍体から1対の相同染色体が失われた(2n-2)ナリゾーミックなどの異数性、そのほかの細胞および染色体レベルの人為手法による育種である。
(8)分子レベル組換え利用 育種目的にあった特定の情報源をもつDNA断片を、ほかの生物のDNA分子に組み込み、その形質を利用する育種で、微生物での応用が進んでいる。
(9)そのほかの利用 サイトカイニンやジベレリンなどを与えることによって得られる人為的性変換など形態形成の制御技術の利用による育種などもある。
[飯塚宗夫]
家畜や家禽などの育種は、雌雄両個体のかけ合わせ(交配)による有性繁殖が行われるため、同じ表現型の個体どうしを交配しても、ただちに遺伝的に均一な集団が得られるとは限らない。目的とする形質が遺伝子の作用のみを受けている質的形質であれば、個体の表現型の記録をもとに個体選抜をして交配することにより、目的とする同一形質の集団を得ることが可能であるが、家畜や家禽の利用対象となる形質は、泌乳量、産肉量、産卵数などが複雑な生理現象の量的形質であるため、ほとんど一定しない。これらの形質は、一般に多数の座位にあるポリジーンとよばれる遺伝子によって支配され、さらに飼育環境によっても大きく変動する形質であるため、遺伝様式も複雑で解明は容易ではない。したがって、量的形質の測定値である表現型値の大小または優劣から、できるだけ正確に遺伝子効果の大小を判定する目安が必要となる。この目安が遺伝率とよばれ、これから表現型値に対する遺伝的効果と環境効果の割合を推定することができる。
量的形質では、遺伝率が低い形質が多く、これらの場合は血縁関係にある集団の平均能力の高い家系をすべて選抜する家系選抜を行うことになる。たとえば、兄妹の記録による兄妹選抜とか、子の平均能力をもとに親を選抜する後代検定を行い、これらの間で交配繁殖をさせる。さらに、家畜や家禽育種の目的をより容易に効果的に達成するために、量的形質に関与する質的形質として、ある種の血液型や血中タンパク質の変異型を解明する研究がなされている。これらの発見を家畜や家禽の育種技術に導入する試みも進められている。
乳牛のように、生産に従事する個体(実用種)が同時に繁殖用の個体(種畜)として子孫を増やしていく家畜種では、飼育群のすべてを遺伝的に改良していかなければならない。そのため、生産能力を正確に把握する目的で能力検定を実施し、遺伝的に優れた個体を選抜して交配を重ねていく。この場合、能力が現れない雄については後代検定の成績で選抜される。一方、ブタや採卵鶏、ブロイラーなどのように、実際に利用される個体は子孫を残すことがなく、繁殖群は別にある家畜種(養蚕も同じ)では、実用畜として雑種強勢を利用することが非常に効果的である。そのため種畜群については、乳牛の場合と同様に能力検定を実施して遺伝的改良を進めるとともに、F1に雑種強勢が期待できるように近親交配を重ねて近交系を作出し、さらにこれらの系統間の合い性を検定する特殊な選抜法を行って、実用畜としてはこれらの間の一代雑種や、3系統が関与する三元交雑種、4系統が関与する四元交雑種を利用することが広く行われている。
家畜繁殖技術の進歩は目覚ましく、精液や受精卵の凍結保存法の完成は、人工授精や人工妊娠(受精卵移殖)を実用化し、1個体の繁殖力を飛躍的に増大させた。これらの技術が、遺伝的に優れた種畜の有効利用ということを通して家畜育種に果たした貢献は著しいものがある。さらにバイオテクノロジーの技術を利用して、親と同一の遺伝子をもつ個体を得るクローン技術によって、クローン羊、クローン牛などが出現している。
[西田恂子]
キンギョ、コイ、マス類などのように、交雑や突然変異を利用して古くから生産技術が確立されているものもあるが、養殖生産量が多いブリ(ハマチ)やウナギはまだ再生産技術が確立されておらず、野生種を飼育しているにすぎない。1990年代から養殖されているアユやマダイも野生種の養殖から脱しきれず、選抜された養殖種をもとに人為的完全養殖が進んでいるのは、前記のキンギョやコイのほか、ニジマスやアサクサノリなどである。これら優れた遺伝的形質をもつ養殖種のほとんどは、偶然に選抜されたもので、その種類は限られている。この養殖種は選抜育種によるもので、ニジマスでは若年成熟や早期産卵が促進され、1年に2回産卵できる個体も得られ、アサクサノリでは成長速度の大きい多収性品種が育成されている。コイでは品種間の交雑により、成長率や耐病性において雑種強勢となったF1が得られているが、F2となると、F1で得られた顕性形質が失われることが多い。人工環境下での育種では、野生種よりも養殖種のほうが産業的に有利であるが、自然環境下に置かれると、養殖種と野生種の自然雑種を生じ、形質の退行雑種が出現するという問題がおこる。
染色体の研究も1980年代に進歩し、その核型が明らかになるとともに、発生途中の受精卵に低温処理のような物理的刺激を与えることにより、染色体組数の三倍体や四倍体をつくり、短期間での大形化や不妊性を利用する試みがなされ、コイやヌマガレイなどで成功している。これら細胞遺伝学的基礎研究の進歩により、魚類の育種技術はさらに発達することが期待される。
[出口吉昭]
『蓬原雄三編著『育種とバイオサイエンス』(1993・養賢堂)』▽『佐々木義之著『動物の遺伝と育種』(1994・朝倉書店)』▽『水間豊他著『新家畜育種学』(1996・朝倉書店)』▽『池橋宏著『訂正追補 植物の遺伝と育種』(2005・養賢堂)』▽『熊井英水編『水産増養殖システム1 海水魚』(2005・恒星社厚生閣)』▽『隆島史夫・村井衛編『水産増養殖システム2 淡水魚』(2005・恒星社厚生閣)』
生物の遺伝質を人工的に変えて,一段と利用価値の高い新しい型のものを作り出すこと。品種改良とほぼ同じであるが,やや学術用語の感じが強い。新しい地域に従来なかった新種,新品種を導入することや,全く新しい生物種を創出することも含む。もともと農業技術の一つであり,横井時敬がはじめて用いた言葉(1903)であるが,最近は分子育種など,分子生物学を利用する微生物の育種にまで,この言葉が用いられる。育種技術の改良を研究する分野を育種学というが,一種の応用科学であり,利用される学問分野は遺伝学を中心とした生物学全般,生化学,統計学など広い範囲に及ぶ。実際の育種では,最初に遺伝質の違ういろいろの変りものを人工的に作り出し,次に変りものの中から人間にとって有用なものを選抜・増殖する。変りものの作り方には,交配による交雑育種法,接木によって変異を作る栄養雑種育種法,放射線や薬品による人為突然変異育種法,染色体や細胞質などを操作する細胞工学育種法などがある。最近では細胞工学の手法の上に,細胞・組織培養,組換えDNAや体細胞交雑などの遺伝子工学の技術を加えた新育種法が開発されつつある。選抜・増殖方法にもいろいろの工夫がされており,系統育種,集団育種,抵抗性育種,品質育種などという分野が個々の作物,家畜,水産物,林木ごとに工夫されている。選抜・増殖方法の工夫が育種事業の経済性を左右することが多い。
→品種改良
執筆者:武田 元吉
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…原子炉における転換で転換率が1を超えるのを増殖という。増殖の起きている原子炉の中では核分裂性物質が燃焼とともに増えていく。増殖の起こる原子炉を増殖炉といい,その転換率を増殖率という。【近藤 駿介】…
…生物が後継ぎを残して種族を維持すること。日本語でも英語でも〈生殖reproduction〉や〈増殖multiplication(またはproliferation,propagation)〉との区別があいまいで,しばしば混用されるが,概念上の整理が必要であろう。種族が維持されるためには,一つの世代が次の世代を,次の世代はさらに次の世代を生じなければならない。これは二つの内容を意味する。一つは,残される後継ぎは成体にまで育ったものでなければならないということである。…
…作物,家畜などの新品種を創出すること。〈改良〉という言葉が慣用的に使われているが,実際には創出というほうが近い。育種とほぼ同義語だがその定義にはかなり幅がある。育種が家畜や作物の遺伝的な改良を意味するのに対し,品種改良では環境条件の改善による生産性の向上をも含む広い意味で用いることが多く,一方,この語を既製品種の改良に限定して用い,新品種の作出は含まないとする場合もある。作物,家畜の生産は優良な品種を利用して初めて高い収益を上げることができるため,品種改良に対する期待はきわめて大きい。…
※「育種」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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