朝日日本歴史人物事典 「磯部村清太夫」の解説
磯部村清太夫
生年:生年不詳
江戸中期の百姓一揆の指導者,義民。常陸国(茨城県)茨木郡笠間藩領磯部村(岩瀬町)庄屋で神主でもあったが,凶作に対する年貢減免や領主の定免制採用に反対し,亀岡村太郎左衛門と共に山外郷(磯部村など)村々百姓に呼びかけ,寛延2(1749)年11月13日に大岡原で集会を持ち,翌日約1000人で笠間城下へ押しかけた。藩はいったん要求をのみ,百姓らを帰村させたが,のちにこれを破棄して指導者らを逮捕し,清太夫と太郎左衛門を獄門,富谷村佐太郎を死罪としたほか多数を処罰した。これを山外郷一揆という。のち清太夫は義民として祭られ,小塩集落に墓碑,義民地蔵,義民碑がある。<参考文献>小室昭「笠間藩領寛延二年山外郷一揆」(『茨木百姓一揆』)
(斎藤善之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報