神内池
じんないいけ
春日川支流天満川を堰止めて築いた溜池。植田四ヵ池の一つ。「全讃史」に「万濃池の後に従ふ、三谷池と伯仲を争ふ」とあり、満濃太郎・神内二郎・三谷三郎と通称された。堤台五〇間・上の広さ六間。当地にあった吉国寺が天正一一年(一五八三)林村に移転した後、その廃跡を池としたという(讃岐国名勝図会)。築造年代は不明だが、寛永三年(一六二六)の旱魃を契機に生駒高俊が西島八兵衛に命じ、同一二年五月に着工、同年九月には完成したと伝える。これは生駒氏時代に行われた拡張工事を伝えたものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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