朝日日本歴史人物事典 「神戸長吉」の解説
神戸長吉
生年:文化11(1814)
幕末維新期の侠客。本名初芝才次郎。下総国浜野村(千葉県)の出身で,中年になって伊勢国(三重県)に流れつき,鈴鹿の神戸に一家を構え,長身長顔であったことから神戸長吉と称された。慶応2(1866)年の荒神山の喧嘩当事者のひとりで,相手は同じ伊勢国の員弁郡神田村の穴太徳。ふたりは荒神山を縄張りとする神戸屋祐蔵の子分で,喧嘩当時,長吉53歳,徳44歳。きっかけは長吉の養子久居才次郎が,徳の縄張りの桑名で博奕の上の喧嘩をし,仕返しに家を壊されたことから,伊勢街道追分の一本松で長吉らが桑名方を斬ったいわゆる追分の「ござれ参ろう」の喧嘩である。この喧嘩で長吉が旅に出た間に桑名方が勢力をのばしたことから,2年後の荒神山の喧嘩になる。長吉が臆病な男というのは講談の話。明治9(1876)年の伊勢一揆の際には,暴徒が神戸に入るのを防ぐため村人を指揮したさっそうたる姿が『荒神山喧嘩考』(長谷川伸著)に伝えられる。<参考文献>堀文次『郷土史談 荒神山物語』
(平岡正明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報