日本歴史地名大系 「神明浦村」の解説 神明浦村しめのうらむら 三重県:志摩郡阿児町神明浦村[現在地名]阿児町神明(しんめい)英虞(あご)湾北岸と多くの島からなり、鵜方(うがた)村の南に接する。縄文時代の石鏃・石錘・石斧のあった賢島(かしこじま)遺跡、大方(おおかた)古墳・丸山(まるやま)古墳などがある。近世を通じて鳥羽藩領で、英虞郡に属した。享保一一年(一七二六)の村差出帳(徳川林政史蔵)によると、高二五〇・五七四石のうち夫米高七・五七二石が寛文四年(一六六四)から定引され、反畝不明の無地が二一・八三石あった。おもな小物成は夫米一九・九六石、浦運上銀一一六匁とある。献上煎海鼠は二〇〇桁を限って一一月―正月までに献上し、以前は五〇〇桁も献上した。大煎海鼠は横八寸で一桁の代銀一匁六分、中煎海鼠は横七寸で一匁二分、小煎海鼠は横六寸で八分であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by