英虞郡
あごぐん
「和名抄」東急本郡部に「阿呉」と訓を付す。「日本書紀」持統天皇六年五月六日条に「阿胡行宮」が記され、所在地は鳥羽・答志島付近との説もあり確定しないが、「あご」の名の初見である。この年の伊勢行幸のとき京で柿本人麻呂が詠んだ歌に「嗚呼見の浦」の地名がみえるが(「万葉集」巻一)、この「見」を「児」の誤りとして英虞浦と解する説もある。市原王の歌には
<資料は省略されています>
と「網児の山」がみえ、志摩国英虞郡の山と解される。なお後世、初句「網児之山」を「あこし山」と読み、その名で歌学書などは登載している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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