神足神社
こうたりじんじや
神足集落の東端にあり、社地は小高く、東側は低湿地となり、小畑川に近い。小さいながら社叢をもつ。式内社で「延喜式」には乙訓郡一九座のなかに「神足神社」とみえ、「カムタリ」(九条家本)ともよんでいる。旧村社。祭神については古来論争があり、本居宣長は遠津山岬多良斯神を擬するのに対し(古事記伝)、伴信友は桓武天皇を推定した(神名帳考証)。「山州名跡志」などの江戸時代の地誌類は祭神を記さない。これに対し貞享四年(一六八七)編の神足大明神縁起は、桓武天皇の時代、東方より光が池中に降り、自ら神足遊戯神道と称したと記すのみである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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