神足村(読み)こうたりむら

日本歴史地名大系 「神足村」の解説

神足村
こうたりむら

[現在地名]長岡京市神足・東神足

現長岡京市平地部のほぼ中央に位置する。西国街道が村内を縦貫し、小畑おばた川が東端を流れる。

地名と関連する神足神社は斉衡元年(八五四)、神足園の名も寛仁三年(一〇一九)史料にみえる。神足園は平安時代中期、小野宮右大臣と通称された藤原実資の所領で、その日記「小右記」の寛仁三年一二月九日条によれば他の諸荘などとともに第四子内供良円に譲られた。しかしその後の経緯は不明である。

一方、条里制の里名にも神足里があり、建保四年(一二一六)六月二〇日付の主殿寮要劇田坪付注進状(壬生家文書)の「乙訓郡捌町弐佰玖拾(カ)歩内」のうちに「五条神足里廿五坪一町」が記され、「右、任天治元年六月廿一日坪付申之、但件坪々内若他領之由於募申者、任彼坪付之状、如元可当寮之由、欲仰下、仍以注進言上如件」とある。天治元年(一一二四)の頃に、神足里二五坪一町等に主殿寮要劇田が設定され、鎌倉時代初期にも維持されていたのである。

鎌倉時代後期、神足を本拠として国人神足氏が台頭し、建武三年(一三三六)九州から上洛して幕府再建を目指した足利尊氏の軍勢催促に応じて、御家人に列している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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