祥子内親王(読み)しょうしないしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「祥子内親王」の解説

祥子内親王 しょうしないしんのう

?-? 鎌倉-南北朝時代,後醍醐(ごだいご)天皇皇女
母は阿野廉子(れんし)(新待賢門院)。正慶(しょうきょう)2=元弘(げんこう)3年(1333)最後伊勢斎宮にさだめられたが伊勢におもむかず,のち出家して山城(京都府)保安寺にはいった。和歌をよくし,「新葉和歌集」などに収録されている。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

選挙公職を争うとき,政党や候補者が,当選後実現すべき政策について有権者に向けて表明する約束。当選者が選挙公約に拘束され,実現の努力を行うことは責任政治の重要な構成要素である。...

公約の用語解説を読む