南北朝時代の準勅撰(ちょくせん)和歌集。20巻1400余首。宗良(むねなが)親王撰。南北朝分裂後、北朝ではまず京極(きょうごく)派によって『風雅集』、ついで足利(あしかが)将軍と二条家との提携によって『新千載(せんざい)』『新拾遺(しゅうい)』の2集が成っていたが、分裂後の南朝の君臣の詠はそれらに入れられず、彼らはそれを残念に思っていた。南朝ではそれまでも、おりおり歌合(うたあわせ)や歌会が催されていたが、東国に転戦していた宗良親王が吉野にいったん帰った1374年(文中3)前後からとくに活発化し、「南朝三百番歌合」(1371)、「南朝五百番歌合」(1375)、「住吉(すみよし)社三百六十番歌合」(1375ころ、散逸)、「南朝内裏(だいり)千首(天授千首)」(1376~77、数名の分が現存)などが催されたのは、撰集準備の一環と考えられる。かくて同集は、親王を中心に花山院長親(かざんいんながちか)や師成(もろなり)親王らが協力して1381年(弘和1・永徳1)10月までにいったん完成した(初撰本)が、この月長慶(ちょうけい)天皇から勅撰集に準ずる旨の綸旨(りんじ)を賜り、若干修訂して同年12月に奏覧した(奏覧本・準勅撰集本。仮名序による)。したがって伝本にはこの2系統があるとみられる。内容は勅撰集に倣って四季恋雑20巻、南北朝分裂の元弘(げんこう)(1331~34)初年から当代まで3代50余年間の南朝関係者の詠を収め、仮名序を付す。入集歌数は後村上(ごむらかみ)院100、宗良親王99(ただしこれは後村上院を首位とするためで、ほかに詠人(よみびと)知らずとして多数)、長慶院・花山院家賢(いえかた)各52、花山院師賢(もろかた)49、後醍醐(ごだいご)帝46という順で、基本的には二条派歌風だが、「ここにても雲居(くもゐ)の桜咲きにけりただかりそめの宿と思ふに」(後醍醐帝)、「鳥の音(ね)におどろかされて暁の寝覚(ねざめ)静かに世を思ふかな」(後村上院)のような切実な実感を歌った詠が共感をよぶ。
[福田秀一]
『井上宗雄著『中世歌壇史の研究 南北朝期』(1965・明治書院)』
南北朝期の準勅撰集。撰者は後醍醐天皇皇子宗良(むねよし)親王。1376年(天授2)ころに発企,81年(弘和1)10月に長慶天皇の綸旨が下り,同12月3日に奏覧。20巻,部立は《続千載集》にならい,南朝3代(約50年)の当代歌人の作1420首(諸本に多少の増減あり)を収める。歌人数は150余名。おもな作者は,後村上天皇100首,宗良親王99首(ほかに読人不知として90首前後),長慶天皇53首に次いで,後醍醐天皇,花山院3代(文貞公師賢・家賢・長親),洞院公泰らが続き,皇族と近臣がほとんどである。南朝の悲遇の述懐に特色をみせるが,概して大覚寺統とゆかりの深い温雅な二条派の詠風となっている。
執筆者:伊藤 敬
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後醍醐天皇の皇子宗良(むねよし)親王撰。1381年(永徳元・弘和元)10月13日長慶天皇により勅撰に擬され,同年12月3日奏覧。20巻。南朝を排した北朝の勅撰集への対抗心と,老いの慰め,後村上天皇追慕,南朝の永久祈念などから撰集を企図。総歌数は約1420首。入集上位は,後村上天皇100首,宗良親王99首(読人知らずの歌の多くは自身詠),長慶天皇・花山院家賢52首,同師賢49首,後醍醐天皇46首。南朝歌人は総じて二条派系であり平淡な歌が多いが,困難な環境を反映する歌もみえる。
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