福久村(読み)ふくひさむら

日本歴史地名大系 「福久村」の解説

福久村
ふくひさむら

[現在地名]金沢市福久町

荒屋あらや村の北西金腐かなくさり川と森下もりもと川に挟まれた河北潟縁平野に位置する。中世井家いのいえ庄の内。永正五年(一五〇八)七月二三日の成立とされる白山禅頂私記(白山比神社蔵)の跋に「河北ノ郡井家庄領家方福久村」の兼遠の氏寺千手院の住僧権大僧都勝慶が撰したとみえる。しかし白山禅頂御本地垂迹之由来私伝(白山比神社文書)では「家方福久村」の五字が欠損し永正五年の奥付もないので、なお検討の余地がある。


福久村
ふくひさむら

[現在地名]吉井町桜井さくらい

角間かくま村の南、筑後川に合流する隈上くまのうえ川下流左岸微高地に位置する。年未詳一一月六日の田原親賢書状(歴世古文書)にみえる「福久名」は当地に比定され、田原親賢が同名を袋野ふくろの(現浮羽町)の替所として平河太郎次郎の給地として与えられるよう豊後府内ふない(現大分市)の大友氏に取次いでいる。江戸時代の本高は六一石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高八〇石・役高一〇九石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高一一三石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田三町九反余・開田一町八反余・畑田一町二反余・畑一町二反余・居屋敷一反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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