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福住正兄 ふくずみ まさえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

福住正兄 ふくずみ-まさえ

1824-1892 江戸後期-明治時代の農政家。
文政7年8月21日生まれ。二宮尊徳の門人。箱根湯本の旅館福住楼の養子となり,師の報徳思想で家業を再興。小田原藩校集成館で国学をおしえ,報徳社を設立して報徳運動を指導した。明治25年5月20日死去。69歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。本姓は大沢。通称は九蔵。号は蛙園,福翁。著作に「二宮翁夜話」「富国捷径(しょうけい)」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

福住正兄

没年:明治25.5.20(1892)
生年:文政7.8.21(1824.9.13)
相模国大住郡片岡村(平塚市)の名主大沢市左衛門の5男。父は天保9(1838)年以降,二宮尊徳の指導で家政改革と村の復興仕法を行った豪農。幼名政吉。弘化2(1845)年から5年間尊徳のもとで教えを受け帰村,嘉永3(1850)年箱根湯本の温泉宿福住家の養子となり九蔵を襲名。報徳仕法により家と村を復興,湯本村名主,のち箱根14カ村の取締役を務めた。また神道,国学を学び,明治4(1871)年家督を長子に譲り正兄と改名,小田原藩の国学1等教授,教導職権中講義,権少教正を務め,報徳主義が政府の掲げる神道に合致することを説き,教部省に出願して報徳教会を設立,のちこれを報徳社に改めた。二宮尊徳のもとで受けた教えをまとめた『二宮翁夜話』(復刻,1933。岩波文庫)をはじめ著書も多く,『富国捷径』(4編,1873~75)は多くの人に影響を与えた。晩年は尊徳の贈位と報徳二宮神社の創立に奔走した。<参考文献>尾崎壮三『福住正兄翁』,佐々井信太郎『福住正兄翁伝』

(海野福寿)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

福住正兄
ふくずみまさえ
(1824―1892)

幕末~明治前期の農政家。二宮尊徳の弟子。相模(さがみ)国大住郡片岡村(神奈川県平塚市片岡)に大地主大沢市左衛門の五男として生まれる。幼名は政吉、号は蛙園(あえん)。1845年(弘化2)尊徳の門に入り、1850年(嘉永3)退塾し、箱根湯本で旅館を営む福住氏の婿養子となる。数年にして福住楼を再興し、宿場規則を改めるなど湯本村の振興にも努力し、報徳教会(のちに報徳社)を設立して報徳運動の普及に尽力した。平田派国学の流れをくみ、尊徳の報徳思想を神道中心に解釈した点に福住の思想の特色がある。著作に尊徳の言行を筆録した『二宮翁夜話』があり、ほかに『富国捷径(しょうけい)』『報徳学内記』など数十種がある。[小島康敬]

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世界大百科事典内の福住正兄の言及

【二宮翁夜話】より

…二宮尊徳の門人福住正兄が,師の身辺で暮らした4年間に書きとめた《如是我聞録》を整理し,尊徳の言行を記した書。1884‐87年正編5巻刊行。…

※「福住正兄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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