日本大百科全書(ニッポニカ) 「福住正兄」の意味・わかりやすい解説
福住正兄
ふくずみまさえ
(1824―1892)
幕末~明治前期の農政家。二宮尊徳の弟子。相模(さがみ)国大住郡片岡村(神奈川県平塚市片岡)に大地主大沢市左衛門の五男として生まれる。幼名は政吉、号は蛙園(あえん)。1845年(弘化2)尊徳の門に入り、1850年(嘉永3)退塾し、箱根湯本で旅館を営む福住氏の婿養子となる。数年にして福住楼を再興し、宿場規則を改めるなど湯本村の振興にも努力し、報徳教会(のちに報徳社)を設立して報徳運動の普及に尽力した。平田派国学の流れをくみ、尊徳の報徳思想を神道中心に解釈した点に福住の思想の特色がある。著作に尊徳の言行を筆録した『二宮翁夜話』があり、ほかに『富国捷径(しょうけい)』『報徳学内記』など数十種がある。
[小島康敬 2016年9月16日]