福円寺跡(読み)ふくえんじあと

日本歴史地名大系 「福円寺跡」の解説

福円寺跡
ふくえんじあと

[現在地名]大山町中大浦

中大浦なかおおうらにあった真言宗廃寺大浦村の小林隼人が夢告により、本尊として十一面観音像を越前国より迎えて安置したことに始まるという。隼人は弘治元年(一五五五)五月一七日に没した(「福円寺過去帳」観音庵蔵)。福円寺は以後しばしば住僧を欠いたらしいが、近世初頭に法印良誉により再興された(福円寺過去帳)。しかし明治三年(一八七〇)の富山藩の合寺令により廃寺となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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