日本歴史地名大系 「大浦保」の解説 大浦保おおうらほ 富山県:上新川郡大山町大浦保熊野(くまの)川の右岸に沿って東西に長く位置する。「政所賦銘引付」文明九年(一四七七)八月五日条によれば、熊野川を挟んで対岸の福沢(ふくさわ)とともに京都の和歌所の祭神である新玉津島(にいたまつしま)神社(現京都市下京区)領であった。領家は歌学の家柄飛鳥井氏であったが、蜷川(にながわ)村(現富山市)の蜷川大炊助親家が「公用銭二千疋」納入の契約で代官請していた。だが幕府申次衆(奉公衆)佐脇左京亮が親家の進納した年貢を抑留したので、親家が幕府政所へ訴え出た。大浦などが新玉津島神社領となるのは貞和二年(一三四六)に同社が再建されて以後であろう。明応八年(一四九九)五月二四日に婦負(ねい)郡守護代神保越前守長誠が大浦保福円(ふくえん)寺宛に禁制を下している(「神保長誠禁制」遺編類纂所収大浦福円寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by