日本歴史地名大系 「大浦村」の解説
大浦村
おおうらむら
河辺郡に所属する鹿児島藩直轄領加世田郷内の村。東は同郷
中世は加世田別符のうちに含まれていた。永和元年(一三七五)一〇月一日・明徳四年(一三九三)一一月二七日および年未詳の三通の加世田別符半分坪付注文(島津家文書)に「おうら」あるいは「おうらはんふん」とみえる。
大浦村
おおうらむら
なお明応九年(一五〇〇)一一月一三日および永正二年(一五〇五)一〇月一八日の幕府奉行人奉書(美吉文書)にみえる摂津元親領「倉月庄内中大浦村」が当地に比定される。
大浦村
おおうらむら
大浦村
うぷらむら
西原村(ニスムラ)の北に位置し、北は
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
- 岐阜県:羽島市
- 大浦村
大浦村
うぷらむら
大浦村
おおうらむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
「忽那嶋開発記」によれば応徳元年(一〇八四)藤原親賢が忽那島に流罪となり、在島二〇年の間にこの島の開墾をしたとある。「応徳三四開作田圃、六浦定名謂ル大浦、長師、神浦、熊田、
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
- 富山県:滑川市
- 大浦村
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおらむら
- 秋田県:本荘市
- 大浦村
南流する
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に内越郷に属すとあり、近世は亀田藩領に属していた。正保三年(一六四六)の出羽国油利郡内高目録(秋田県庁蔵)によれば三〇〇石七斗八升八合で、そのうち畑一三石余、田二八七石余とあり、元禄一五年(一七〇二)には三四三石九斗四升七合と増えている(出羽国由理郡郷村高辻帳)。
大浦村
おおらむら
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
現太良町の南東部、有明海沿いの村。慶長絵図に「大浦 浜ノ内」とある。万延元年(一八六〇)改の郷村帳には大浦村の中に「中畑・里・み禰・野上・道下・広江・亀浦・たりかと」があると書かれ、亀浦村も含まれている。この付近は
里集落には、建御名方命・八坂日売命を祀る
大浦村
おおうらむら
- 福岡県:前原市
- 大浦村
大浦村
おおうらむら
- 高知県:室戸市
- 大浦村
羽根村の北西端、羽根岬の上段に開かれた新田村で、元禄地払帳に初めて大浦村新田八〇石が記され貢物地とある。羽根坂あるいは中山越とよばれた室戸岬への街道は村の北東側を通るが、現在集落はない。
江戸時代この地は留山とされ遠見番所も置かれていたが、元禄七年(一六九四)
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
大浦村
おおうらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報