日本歴史地名大系 「福沼村」の解説 福沼村ふくぬまむら 宮城県:古川市福沼村[現在地名]古川市北町(きたまち)五丁目・江合錦町(えあいにしきちよう)一―三丁目・江合本町(えあいほんちよう)一丁目・福沼江合川南岸にあり、北の対岸は遠田(とおだ)郡淵尻(ふちじり)村、南は李埣(すもぞね)村、東は遠田郡上埣(かみぞね)村、西は江合村と接する。「安永風土記」に「往古当村ニ福沼ト申沼有之候ニ付村名ニ唱来候」とある。「志田郡沿革史」によれば、寛文(一六六一―七三)頃までは福沼富沼(ふくぬまとみぬま)村または富沼福沼村といって一〇戸ほどが散在していたが、藩の米蔵が設置されてから集落をなしたという。近世には藩の蔵場と修験福性(ふくしよう)院によって知られた。正保郷帳に田二四貫三一一文・畑三貫二二九文とあり、水損と注記される。「安永風土記」によれば、田二四貫九五四文・畑三貫七八五文で、蔵入は一貫六〇六文、給所は二七貫一三三文、人頭二六人(うち沽却禿三)、家数三一(うち名子二・借屋六)、男一〇二・女八三、馬一四とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by