福留繁(読み)フクトメ シゲル

20世紀日本人名事典 「福留繁」の解説

福留 繁
フクトメ シゲル

大正・昭和期の海軍中将 連合艦隊参謀長。



生年
明治24(1891)年2月1日

没年
昭和46(1971)年2月6日

出生地
鳥取県

学歴〔年〕
海兵(第40期)〔明治45年〕卒,海大〔大正15年〕卒

経歴
艦隊勤務、海兵教官などを経て、「磐手」航海長、軍令部員、昭和7年欧米出張、帰国後連合艦隊参謀、軍令部第1部第2課長、10年軍令部作戦課長。13年支那方面艦隊参謀副長、「長門艦長から14年連合艦隊参謀長、16年軍令部作戦部長となり真珠湾攻撃作戦計画参画。17年中将、18年連合艦隊参謀長、19年パラオからダバオへ向かう途中、搭乗機不時着水、ゲリラ捕虜となったが釈放され 同年6月第2航空艦隊司令長官となり特攻攻撃を敢行。20年1月第13航空艦隊司令長官、2月第10方面艦隊・第1南遣艦隊司令長官兼任で敗戦戦後水交会理事長。著書に「海軍の反省」「史観真珠湾攻撃」「海軍生活四十年」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「福留繁」の解説

福留繁 ふくとめ-しげる

1891-1971 大正-昭和時代前期の軍人
明治24年2月1日生まれ。長門(ながと)艦長などをへて,昭和16年軍令部第一部長となり,真珠湾攻撃作戦の計画にたずさわった。17年海軍中将。18年山本五十六(いそろく)司令長官戦死後,連合艦隊参謀長。戦後は水交会理事長。昭和46年2月6日死去。80歳。鳥取県出身。海軍大学校卒。著作に「海軍の反省」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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