フィリピン南部,ミンダナオ島南東部,ダバオ湾西岸に位置する都市。人口114万7116(2000)。20世紀初頭にはダバオ河口の小さな町にすぎなかったが,日本人実業家によるマニラ麻(アバカ)農園開発を契機に急激に発展,1914年にダバオ州の州都となり,36年には政令都市に昇格した。市域面積2211km2の超広域都市で,西方にそびえるアポ,タロモなどの火山山麓の緩斜面までが市域に含まれる。第2次大戦直前の市内在住日本人は1万8000人を数え,おもにタロモ川とシラワン川流域に住んでマニラ麻産業に従事,日本人小学校(15校)から病院(4)までもっていた。戦後は日本人の撤退,マニラ麻のモザイク病蔓延(まんえん)などで農園は一時衰退したが,現在では完全に復興している。60年代から外資系企業による日本向けのバナナ農園開発が進み,市内ではカリナン付近にいくつか開かれた。市の中心から3km北のサンタ・アナと8kmのササに港湾施設があり,マニラ麻,木材,バナナなど輸出商品はササ港から積み出される。67年ダバオ州が北,南,東の3州に分割され,ダバオは南ダバオ州の一部となり,以後州都ではなくなったが,引き続きこの地域の政治・経済・文化の中心地であることに変りない。最近では観光資源の開発も進み,年々多くの旅行客を引きつけている。
執筆者:梅原 弘光
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フィリピン南部、ミンダナオ島南東部にあるダバオ湾西岸の港湾都市。フィリピンの最高峰アポ火山(2954メートル)の東麓(とうろく)に位置する。人口114万7116(2000)。木材加工業などの産業と流通の中心で、近年の人口増加が著しく、マニラ首都圏に次ぐ大都市となっている。19世紀までは先住民であるバゴボ人の住む辺境であったが、20世紀に入ってキリスト教徒セブアノ人の移住者が増えた。ダバオの発展と日本とのかかわりには深いものがある。第二次世界大戦前のアバカ(マニラ麻)の主産地の形成は、1904年(明治37)から本格的な入植を始めた日本人によるアバカ農園の開発に負うところが大きい。30年代末には約2万人の日本人が住んでいた。41年(昭和16)2月日本海軍が占領、以後艦隊の寄港地となったが、45年5月連合軍が奪還した。また、戦前から60年代までラワン材の日本向け積出し港としても重要で、60年代後半からは日本市場を対象としたバナナの企業的農園が広がった。日本が輸入するバナナの多くはダバオ市周辺で生産されたものである。日本の領事館が設けられている。
[高橋 彰]
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…フィリピン南部,ミンダナオ島南東部,ダバオ湾西岸に位置する都市。人口100万7000(1995)。…
…そのため経営合理化の余地は限られている。 フィリピンにおけるマニラ麻の主産地はルソン島南東部のアルバイ州,南・北カマリネス州,ソルソゴン州を含むビコル地方,レイテ島およびミンダナオ島のダバオ州である。マニラ麻には一定した収穫期がないため,年間均等化した降雨量があり,台風の経路からも外れているダバオ州が適地である。…
※「ダバオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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