私市城跡(読み)きさいじようあと

日本歴史地名大系 「私市城跡」の解説

私市城跡
きさいじようあと

[現在地名]騎西町根古屋・牛重

加須かぞ低地内の島状の埋没ローム台地上にあり、標高は約一二メートル、周囲の低地との比高は約一―二メートル。現在は土塁の一部が残り、ほかは畑や宅地となっている。城跡の範囲は城郭部が東西約四五〇メートル、南北約四〇〇メートル。城郭部の南にある武家屋敷跡は東西約一・二キロ、南北約五〇〇メートルである。

私市城のほか崎西城・埼西城などともみえ、現在は騎西城とも記す。享徳四年(一四五五)、下野佐野天命てんみよう只木ただき(現栃木県足利市)を古河公方足利成氏に攻略された長尾景仲らは、武州埼西きさい郡に退いて陣を取ったというが(鎌倉大草紙)、これは当城のことと思われる。同年一二月三日、成氏は庁鼻和上杉憲信や長尾景仲の籠っていた当城を攻撃し、六日に攻略した。以後私市城は古河公方の支配下に入り、成氏直臣の佐々木氏が城主となった(同書)。なお、近世の根古屋古城申伝(浄楽寺文書)に「一 山之根ノ城 太田道灌築之、一 城主 本間弥九郎」とあるが、確証はない。一六世紀には常陸小田氏一族という小田顕家が城主となった。弘治四年(一五五八)六月一日の足利義氏印判状写(簗田系図)によると、小田助三郎(朝興、顕家養子)簗田晴助(古河公方家重臣)に属するように義氏から命じられており、私市城主小田氏は公方家奉公衆であったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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