秋月・秋月庄(読み)あきづき・あきづきのしよう

日本歴史地名大系 「秋月・秋月庄」の解説

秋月・秋月庄
あきづき・あきづきのしよう

現甘木市の北部、上秋月・下秋月を遺称地とする。秋月庄は筥崎宮塔院領、のち弥勒寺喜多きた院領の庄園で、もともとは筥崎宮塔院の造営用の材木を伐採する杣の役割をも含めた庄園だったと思われ、庄域は小石原こいしわら川の上・中流域と佐田さだ川中流域の山中に比定される。正暦三年(九九二)九月二〇日の大宰府符(石清水文書/平安遺文二)に「秋月□」とみえる。秋月庄は夜須やす下座しもつあさくら両郡内の「北山中」にあり、未開墾の荒地で、もとより本田はなく、天慶元年(九三八)に筥崎宮塔院の所領として立庄されて以降も、検田使庄内に入ることはなく、正暦三年秋以降の入部も停止されている。この筥崎塔院は最澄が全国に六基の宝塔を建立しようとした折、宇佐宮弥勒寺分のみが建立されずに残ってしまったため、承平七年(九三七)に千部寺(筥崎神宮寺のことか)の兼祐が筥崎宮内に建立したもの(同年一〇月四日「大宰府牒」石清水文書/大日本古文書四―二)。同院は治安四年(一〇二四)には弥勒寺喜多院の管理となっており、弥勒寺講師の元命の門徒が師資相承すると定められていることから(同年四月一五日「大宰府符」同文書/平安遺文一〇)、当庄も喜多院の管理となったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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