喜多院(読み)キタイン

百科事典マイペディアの解説

喜多院【きたいん】

川越大師とも。埼玉県川越市小仙波町にある天台宗の寺。円仁の草創という。13世紀末尊海が中興し,関東天台宗の中心となる。北条氏の川越攻略で焼失したが,天海が住して復興。数度の火災ののち,1638年江戸城紅葉山の別殿を移築,山門,客殿,書院等が重要文化財に指定されている。所蔵の《職人尽絵》は江戸初期風俗画として著名。
→関連項目川越[市]天海

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世界大百科事典 第2版の解説

きたいん【喜多院】

埼玉県川越市にある天台宗の寺。星野山と号し,北院,川越大師ともいう。830年(天長7)に慈覚大師が興し無量寿寺の号を賜ったといわれる。尊海僧正を中興となし,中世には〈仙波談所〉として関東天台宗の中心道場となり,学徒の養成に当たっていた。1537年(天文6)兵火のため堂宇焼失したが,99年(慶長4)天海が住職につくと,徳川家康知遇を受けて大いに復興させた。朱印700石を有し,現存の建造物のうち,客殿,書院,庫裏,山門,慈眼堂などは江戸初期の建立で重文

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大辞林 第三版の解説

きたいん【喜多院】

埼玉県川越市にある天台宗の寺。山号は星野山。通称、川越大師。830年円仁の創建と伝える。関東の天台宗の中心となったが荒廃し、天海が徳川家康の保護によって復興した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

喜多院
きたいん

埼玉県川越(かわごえ)市小仙波(こせんば)町にある寺。天台宗に属し、星野山(せいやさん)無量寿寺喜多院と称する。北院、川越大師ともいう。830年(天長7)慈覚(じかく)大師(円仁(えんにん))の草創。1296年(永仁4)尊海法師が顕密(けんみつ)の道場として関東天台580寺余を付属させ、1301年(正安3)坂東(ばんどう)の天台本山の勅許を賜った。1537年(天文6)北条氏綱(うじつな)による川越城陥落のときの兵火で堂宇および典籍はことごとく焼失した。1599年(慶長4)天海(てんかい)が第27世となり、徳川家康の保護のもとに500石、4万8000坪(約1584ヘクタール)の地が寄進され、後陽成(ごようぜい)天皇より東叡山(とうえいざん)の号を賜った。しかしこの山号はのちに上野の寛永寺に移り、星野山の山号に戻った。中院(なかいん)を中心として、南院、北院の3院があり、北院はのち喜多院と改めた。1612年(慶長17)より3か年間に堂塔伽藍(がらん)が復興されたが、38年(寛永15)の川越大火ですべてを焼失した。川越藩主堀田正盛(ほったまさもり)が造営奉行(ぶぎょう)を命ぜられ、正盛は同年松本への転封後も再建に力を尽くし、家光(いえみつ)の命で江戸城内紅葉山(もみじやま)の別殿を移築、さらに諸堂を再建した。家光誕生の間、春日局(かすがのつぼね)化粧間、山門、慈眼堂など、慈慧(じえ)大師堂を除く現在の建物は国の重要文化財。寺宝は、『職人尽絵(しょくにんづくしえ)』(狩野吉信(かのうよしのぶ)筆、桃山時代)、宋版一切経(そうばんいっさいきょう)などの国の重要文化財のほか、『三十六歌仙絵額』(岩佐又兵衛筆)、五百羅漢石仏など数多い。隣にある東照宮は天海が創建したもので、所有の『十二聡鷹絵額(じゅうにそうたかえがく)』(狩野探幽(たんゆう)筆)は有名。[中山清田]

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世界大百科事典内の喜多院の言及

【天海】より

…77年(天正5)には奥州会津の蘆名(あしな)氏のもとに移り,90年豊臣秀吉の小田原の陣に赴き,秀吉に従った。この年常陸不動院を復興,99年(慶長4)武蔵国仙波喜多院に入り,ついで下野の宗光寺に入った。天海の令名をきいた徳川家康は,1607年比叡山の探題奉行に任命,このとき,東塔の南光坊に住んでいたので,のちに南光坊天海と呼ばれた。…

※「喜多院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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