秋松村(読み)あきまつむら

日本歴史地名大系 「秋松村」の解説

秋松村
あきまつむら

[現在地名]筑後市やま

羽犬塚はいぬづか村の南、山ノ井川左岸、花宗はなむね右岸に位置する。薩摩街道が通り、一里塚があった。中世広川ひろかわ庄のうち。天福二年(一二三四)二月日の坂東寺所役注文案(岡本文書/鎌倉遺文七)に「秋松名二十三町九反」がみえ、坂東ばんどう寺造営料足段銭七貫一七〇文と、九日会の饗膳役、流鏑馬役が賦課されている。嘉禎三年(一二三七)には坂東寺の鳥居より東方の釘貫(柵)四間分を賦課され(同年九月二八日「公文所下文案」同上)、寛元三年(一二四五)には吉富よしとみ名・得久とくひさ名と共同で御供屋間口五間のうち二間分の負担が定められた(同年一〇月六日「広川庄鎮守神役支配状案」同文書/鎌倉遺文九)。薩摩街道と福島ふくしま(現八女市)に至る街道追分東方に源範頼軍に討たれた平家残党を葬ったという平家塚があり、血で水が紅に染まったことや井出赤旗を掛けたことにちなむ赤井手あかいでとよぶ溝筋がある。


秋松村
あきまつむら

[現在地名]穂波町秋松

嘉穂盆地のほぼ中央部、穂波川の右岸に位置する。南は楽市らくいち村、西は椿つばき村・弁分べんぶん村・小正おばさ村。永禄七年(一五六四)から同一〇年頃と推定される一〇月一九日の内藤隆春知行注文(萩藩閥閲録三)によれば、内藤氏の所領である「穂波郡神代給 一秋松 拾五石」を秋月種実が実効支配している。また年未詳一二月一二日の一万田鑑実書状(小野文書/嘉穂地方史古代中世篇)によると「穂波郡秋松之村内三町」が小野弾正忠に預けられている。小早川時代の指出前之帳によれば田二五町八反余(分米三八〇石余)・畠三町九反余(分大豆二三石余)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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