秋田 清
アキタ キヨシ
- 肩書
- 衆院議長,厚相
- 生年月日
- 明治14年8月29日
- 出生地
- 徳島県
- 学歴
- 東京法学院 日本法律学校〔明治34年〕卒
- 経歴
- 日本法律学校などで法律を学び司法省判事に任官したが、「二六新報」の記者に転じ、明治44年社長となった。45年以来衆院議員当選10回。国民党、革新倶楽部から政友会に合流、昭和2年田中義一内閣の逓信、内務各政務次官、7年衆院議長。その後政友会を脱党、岡田啓介内閣の審議会委員、12年第1次近衛文麿内閣の内閣参議、14年阿部信行内閣の厚相、15年第2次近衛内閣の拓務大臣を務めた。その間翼賛会顧問、翼賛政治会顧問を務めた。
- 没年月日
- 昭和19年12月3日
- 家族
- 長男=秋田 大助(衆院議員) 息子=秋田 兼三(第一ホテル会長)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
秋田 清
アキタ キヨシ
大正・昭和期の政治家,弁護士 衆院議長;厚相。
- 生年
- 明治14(1881)年8月29日
- 没年
- 昭和19(1944)年12月3日
- 出生地
- 徳島県
- 学歴〔年〕
- 東京法学院,日本法律学校〔明治34年〕卒
- 経歴
- 日本法律学校などで法律を学び司法省判事に任官したが、「二六新報」の記者に転じ、明治44年社長となった。45年以来衆院議員当選10回。国民党、革新倶楽部から政友会に合流、昭和2年田中義一内閣の逓信、内務各政務次官、7年衆院議長。その後政友会を脱党、岡田啓介内閣の審議会委員、12年第1次近衛文麿内閣の内閣参議、14年阿部信行内閣の厚相、15年第2次近衛内閣の拓務大臣を務めた。その間翼賛会顧問、翼賛政治会顧問を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
秋田清 あきた-きよし
1881-1944 明治-昭和時代前期の政治家。
明治14年8月29日生まれ。二六新報社にはいり,明治44年社長。45年衆議院議員(当選10回)となり,立憲同志会,政友会などに属し,昭和7年衆議院議長。阿部内閣の厚相,第2次近衛内閣の拓務相をつとめた。昭和19年12月3日死去。64歳。徳島県出身。日本法律学校(現日大)卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
秋田 清 (あきた きよし)
生年月日:1881年8月29日
大正時代;昭和時代の政治家。衆議院議員
1944年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の秋田清の言及
【二六新報】より
…09年《二六新報》に復題。11年,秋山定輔から秋田清に経営譲渡された。14年には山本内閣攻撃が理由で再度発行禁止となる。…
※「秋田清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」