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大正時代の自由主義的政党。大正デモクラシー運動の高まりのなかで、立憲国民党を中心とする45名の代議士によって1922年(大正11)11月8日に結成された。党首を置かず、党議拘束制を廃止したが、最高指導者は犬養毅(いぬかいつよし)であった。普通選挙と政党内閣制の実現、軍部大臣武官制廃止、師団半減、知事公選、行財政整理、労働および小作問題の立法的解決、ソビエト承認などを主張し、議会内最左派として活躍した。憲政会、立憲政友会とともに第二次護憲運動を指導し、政党政治を成立させたが、憲政・政友両党の挟撃にあって党勢拡張に失敗し、犬養らの右派は25年5月14日に政友会へ合流、清瀬(きよせ)一郎らの左派は5月30日、院内交渉団体新正倶楽部を組織し、さらに27年(昭和2)6月3日革新党を結成した。
[木坂順一郎]
『井上清編『大正期の政治と社会』(1969・岩波書店)』
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大正末期の政党。1922年(大正11)11月立憲国民党を中心に,無所属倶楽部や憲政会を脱党した急進的普選派の代議士45人によって結成。実質的な党首は犬養毅(つよし)だった。普通選挙・軍部大臣武官制廃止・軍備縮小・行財政整理・減税・ソ連邦承認などを主張。第2次護憲運動では憲政会・立憲政友会とともに護憲三派を形成したが,憲政会・立憲政友会という大政党の間にあって党勢は伸張せず,24年の総選挙では30人に減少。25年5月に犬養ら多数派は立憲政友会に合流し,尾崎行雄らは中正倶楽部の一部と合同して新正倶楽部を結成した。
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