日本歴史地名大系 「秋竹村」の解説 秋竹村あきたけむら 愛知県:海部郡七宝町秋竹村[現在地名]七宝町秋竹北は遠島(とおしま)村に、南は佐屋路を隔てて桂(かつら)村に接する。「尾張志」は村域内の藤島(ふじしま)神社の創建を天武天皇四年と伝え、この頃から「秋竹郷」の名がみえるという。「寛文覚書」に戸数三六、人数一七五とある。「徇行記」によれば、概高三四八石余のうち三三五石余は藩士七人の給知で、田は四二町六反四畝余、畑は五町五畝余。西条(にしじよう)村(現大治町)へ北に入る柳(やなぎ)街道は天正一二年(一五八四)小牧・長久手合戦に続く蟹江(かにえ)合戦や大野(おおの)城(現佐屋町)攻めの時、徳川方の先鋒が通った道として知られる(山口家伝)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by