稲含神社(読み)いなふくみじんじや

日本歴史地名大系 「稲含神社」の解説

稲含神社
いなふくみじんじや

[現在地名]甘楽町秋畑

稲含山の山頂近くに鎮座する。古くから一宮貫前ぬきさき神社(現富岡市)の摂社で、自然神として崇拝され、神事を行ってきた。宝暦一〇年(一七六〇)頃より鎮座位置について争いが生じ、訴訟の結果栗山くりやま(現下仁田町)分になったこともあった(明和二年「社守出入訴状」中野文書など)。一宮本「上野国神名帳」に「正一位稲含大明神」とある。永正二年(一五〇五)の「稲含大明神御縁起」(中野文書)によると、秋畑岳山稲含大明神は安閑天皇の頃に日本に来た南天竺阿溯大王の第三姫が、稲穂をひそかに口に含んで泥の中にはき出し、一握り手の中に収め、竜馬に乗って讃岐国に着き、七年後に甘楽郡秋畑あきはたに移ったもので、狩人を従えてこの山に祀られたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報