稲塚村(読み)いなづかむら

日本歴史地名大系 「稲塚村」の解説

稲塚村
いなづかむら

[現在地名]春日町稲塚

南を黒井くろい川が流れ、東は黒井村、北は大野おおの坂を越えて戸坂とさか(現市島町)。「丹波志」は本村をウチガミ、枝村を大野とする。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となり、正保郷帳に村名がみえ田高二七〇石余・畠高二七石余、芝山・林あり、日損所。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領、元禄八年(一六九五)旗本武田領となり(「寛政重修諸家譜」など)、国立史料館本元禄郷帳では同領。「丹波志」では家数五三、同領。石高のうち五〇石は大野分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android