稲草村(読み)いなくさむら

日本歴史地名大系 「稲草村」の解説

稲草村
いなくさむら

[現在地名]総領町稲草

こう(五五六メートル)の北、西流する田総たぶさ川沿いに集落が点在する。田総川の支流沿いに下ってきた出雲路が、田総川合流点東で北岸に渡り、田総川沿いに下る。北は三上みかみ春田しゆんだ(現庄原市)。なお東南方の亀谷村南に飛郷の敷尾しきのおがある。中世には田総庄に含まれ、下地中分では地頭方に属した地と思われる。古くは稲総いなぶさと称したともいう(国郡志下調書出帳)

近世には広島藩領で家老三原浅野家知行所。元和五年(一六一九)の備後国知行帳では高一一四二・八二一石が記され、以後変化はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報