田総庄(読み)たぶさのしよう

日本歴史地名大系 「田総庄」の解説

田総庄
たぶさのしよう

甲奴郡北部、田総川流域の総領町一帯とその付近を荘域とする。「和名抄」所載の甲奴郡田総郷の地に立荘されたと思われるが、領家は不明。鎌倉幕府の政所別当大江広元の次男長井左衛門尉時広が土肥実平に代わって備後国守護職に任じられ、承久の乱後田総庄地頭職を得た。その孫長井重広は田総庄に入部、田総川北岸の川平かわひら山に城を構えて田総氏を名乗った。田総氏は以後田総庄を本拠とし、甲奴町南部の小童ひち保、福山市域の長和ながわ庄東方・石成いわなり庄下村などの地頭職を確保して中世を生残る。

田総庄の文献にみえる最初は、下地を中分した嘉元三年(一三〇五)の備後国田総庄雑掌成観地頭代重宗連署和与状(田総文書)である。

<資料は省略されています>

田総氏は南北朝期には足利氏に従い、田総庄などの地頭職は、貞和元年(一三四五)一二月一七日付の足利尊氏の下文(「閥閲録」所収田総惣左衛門家文書)によって、「去徳治弐年二月五日父亡時継并正和四年十月廿五日養母尼阿弥陀仏譲状等」に任せて田総重継に安堵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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