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穂積皇子 ほづみのみこ

世界大百科事典 第2版の解説

ほづみのみこ【穂積皇子】

?‐715(霊亀1)
藤原京末から奈良時代初期の万葉歌人。天武天皇の第5子。母は蘇我赤兄の娘大蕤娘(おおぬのいらつめ)。705年(慶雲2)知太政官事。715年正月,一品に叙され,同年7月没。40歳未満か。《万葉集》に短歌4首を残す。異母妹但馬皇女(たじまのひめみこ)と恋愛し,皇女没後の墓を望む悲傷歌〈降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(いかい)の岡の寒からまくに〉(巻二)がある。晩年,大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)を愛した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

穂積皇子
ほづみのみこ
(?―715)

天武(てんむ)天皇の第5皇子(『続日本紀(しょくにほんぎ)』薨伝(こうでん))といわれるが、10人の天武の皇子中出生順では8番目と推定されている。母は蘇我赤兄(そがのあかえ)の娘太(おおぬのいらつめ)。生年は未詳だが、薨年の霊亀(れいき)元年(715)に50歳と考える説によれば、666年(天智天皇5)生まれ。705年(慶雲2)知太政官事、706年右大臣となり、715年一品に昇叙。同年7月に没した。異母妹但馬皇女(たじまのひめみこ)との激しい恋愛は有名。『万葉集』に4首の短歌を残しており、但馬皇女の死を悲しむ「降る雪はあはにな降りそ吉隠(よなばり)の猪養(ゐかひ)の岡の寒からまくに」はとくに哀切。[稲岡耕二]

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世界大百科事典内の穂積皇子の言及

【但馬皇女】より

…天武天皇の皇女。高市皇子(たけちのみこ),穂積皇子(ほづみのみこ)らの異母妹。持統朝に,高市皇子の宮にあって穂積皇子を思う〈秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛く(こちたく)ありとも〉以下3首が連続して《万葉集》巻二相聞に採録されており,いずれも穂積への激しい恋情吐露の歌である。…

【知太政官事】より

…8世紀前半期におかれた令外官。大宝令施行直後の703年(大宝3)に刑部(おさかべ)親王が任ぜられ,以後穂積(ほづみ)親王,舎人(とねり)親王をへて745年(天平17)に鈴鹿(すずか)王が没するまで,断続的に存在した。その職掌また令制官職・位階との相当関係も定かではなく,左右大臣等との関連も明らかではない。しかし天武天皇の皇子皇孫が任ぜられていることは特徴的であり,おそらく令制の太政官制とは性格を異にする官ではなかったかと思われ,実際には大臣の上位に位置づけられる性格ではなかったかと考えられる。…

※「穂積皇子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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