8世紀前半期におかれた令外官。大宝令施行直後の703年(大宝3)に刑部(おさかべ)親王が任ぜられ,以後穂積(ほづみ)親王,舎人(とねり)親王をへて745年(天平17)に鈴鹿(すずか)王が没するまで,断続的に存在した。その職掌また令制官職・位階との相当関係も定かではなく,左右大臣等との関連も明らかではない。しかし天武天皇の皇子皇孫が任ぜられていることは特徴的であり,おそらく令制の太政官制とは性格を異にする官ではなかったかと思われ,実際には大臣の上位に位置づけられる性格ではなかったかと考えられる。すなわちその施行時期なども考慮すると,大宝令による律令太政官制の確立にともない,太政官(だいじようかん)の議政官が上級貴族によって占められるため,天皇の側から太政官を総知する機能を有する独自の官として設置されたものと思われる。その意味では,律令制下における天皇と貴族との関係を考える上できわめて重要な役割をもつ。
執筆者:佐藤 宗諄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
太政官を総覧するために、8世紀前半に設けられていた令外官(りょうげのかん)。703年(大宝3)に刑部(おさかべ)親王が任ぜられ、その後断続しながら穂積(ほづみ)親王、舎人(とねり)親王、鈴鹿(すずか)王と続くが、745年(天平17)に鈴鹿王が死去したのちは任ぜられていない。すなわち、皇親のうちから長老格が選ばれ、かつ終身官であること、その地位が大臣に準ずるものであることなどを考慮に入れるとき、従前に大津皇子、高市(たけち)皇子と皇親が太政官を総覧する伝統が存在しており、大宝律令(たいほうりつりょう)施行後もその伝統を無視することができず、この官職は諸臣の代表である左・右大臣に対し、皇親の代表として並立して、政務を統(す)べる臨時の措置であったのであろう。
[押部佳周]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…《続日本紀》などに〈令外諸司〉〈令外之官〉などと見える。太政官に属する令外官としては,702年(大宝2)の参議をはじめ,続いて設けられた知太政官事(ちだいじようかんじ),中納言(ちゆうなごん),内大臣(ないだいじん)があり,省では造宮省,中宮省,勅旨省(ちよくししよう),内豎省(ないじゆしよう),職では皇后宮職,法王宮職,修理職(しゆりしき),寮では斎宮寮(さいぐうりよう),内匠寮(たくみりよう),授刀舎人寮(じゆとうとねりりよう)(授刀衛),主馬寮(しゆめりよう)(馬寮),兵庫寮(ひようごりよう),司では鋳銭司(ちゆうせんし),造平城京司,造東大寺司,そのほか紫微中台(しびちゆうだい),中衛府(ちゆうえふ),近衛府(このえふ),外衛府(がいえふ),按察使(あぜち),鎮撫使(ちんぶし),節度使(せつどし),観察使(かんさつし),勘解由使(かげゆし),検非違使(けびいし),さらに蔵人所(くろうどどころ),摂政,関白などがある。これら令外官は,中納言,紫微中台,按察使,中衛府など官位相当のある官と,参議,蔵人,検非違使など官位相当のないものに分けられ,前者は令制官職と同格の官であり,前者と後者は任命の手続にも相違のあることが明らかにされている。…
※「知太政官事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加