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知太政官事 ちだいじょうかんじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

知太政官事
ちだいじょうかんじ

律令制時代の令外官 (りょうげのかん) の一つ。左右大臣の上に位し,太政大臣に代って百官を統率するためにおかれたものであろう。大宝3 (703) 年に刑部親王 (おさかべしんのう) が任じられたのが最初で,慶雲2 (705) 年穂積親王養老4 (720) 年に舎人親王 (とねりしんのう) が任じられた。天平9 (737) ~17年鈴鹿王が就任したが,左右大臣に圧せられてその地位は有名無実となり,その後は任命されなくなった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちだいじょうかんじ【知太政官事】

8世紀前半期におかれた令外官。大宝令施行直後の703年(大宝3)に刑部(おさかべ)親王が任ぜられ,以後穂積(ほづみ)親王,舎人(とねり)親王をへて745年(天平17)に鈴鹿(すずか)王が没するまで,断続的に存在した。その職掌また令制官職・位階との相当関係も定かではなく,左右大臣等との関連も明らかではない。しかし天武天皇の皇子皇孫が任ぜられていることは特徴的であり,おそらく令制の太政官制とは性格を異にする官ではなかったかと思われ,実際には大臣の上位に位置づけられる性格ではなかったかと考えられる。

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大辞林 第三版の解説

ちだいじょうかんじ【知太政官事】

奈良時代の令外の官。太政大臣・左右大臣に準ずるとされたが、実際には刑部おさかべ親王ら四人の皇族が任ぜられただけであった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

知太政官事
ちだいじょうかんじ

太政官を総覧するために、8世紀前半に設けられていた令外官(りょうげのかん)。703年(大宝3)に刑部(おさかべ)親王が任ぜられ、その後断続しながら穂積(ほづみ)親王、舎人(とねり)親王、鈴鹿(すずか)王と続くが、745年(天平17)に鈴鹿王が死去したのちは任ぜられていない。すなわち、皇親のうちから長老格が選ばれ、かつ終身官であること、その地位が大臣に準ずるものであることなどを考慮に入れるとき、従前に大津皇子、高市(たけち)皇子と皇親が太政官を総覧する伝統が存在しており、大宝律令(たいほうりつりょう)施行後もその伝統を無視することができず、この官職は諸臣の代表である左・右大臣に対し、皇親の代表として並立して、政務を統(す)べる臨時の措置であったのであろう。[押部佳周]

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世界大百科事典内の知太政官事の言及

【令外官】より

…《続日本紀》などに〈令外諸司〉〈令外之官〉などと見える。太政官に属する令外官としては,702年(大宝2)の参議をはじめ,続いて設けられた知太政官事(ちだいじようかんじ),中納言(ちゆうなごん),内大臣(ないだいじん)があり,省では造宮省,中宮省,勅旨省(ちよくししよう),内豎省(ないじゆしよう),職では皇后宮職法王宮職修理職(しゆりしき),寮では斎宮寮(さいぐうりよう),内匠寮(たくみりよう),授刀舎人寮(じゆとうとねりりよう)(授刀衛),主馬寮(しゆめりよう)(馬寮),兵庫寮(ひようごりよう),司では鋳銭司(ちゆうせんし),造平城京司,造東大寺司,そのほか紫微中台(しびちゆうだい),中衛府(ちゆうえふ),近衛府(このえふ),外衛府(がいえふ),按察使(あぜち),鎮撫使(ちんぶし),節度使(せつどし),観察使(かんさつし),勘解由使(かげゆし),検非違使(けびいし),さらに蔵人所(くろうどどころ),摂政関白などがある。これら令外官は,中納言,紫微中台,按察使,中衛府など官位相当のある官と,参議,蔵人,検非違使など官位相当のないものに分けられ,前者は令制官職と同格の官であり,前者と後者は任命の手続にも相違のあることが明らかにされている。…

※「知太政官事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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