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大伴坂上郎女 おおとものさかのうえのいらつめ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大伴坂上郎女
おおとものさかのうえのいらつめ

奈良時代の女流歌人。大納言安麻呂の娘。旅人 (たびと) の異母妹。家持 (やかもち) の叔母。初め穂積皇子に嫁したが,その死後異母兄宿奈麻呂 (すくなまろ) の妻となり,坂上大嬢 (おおいらつめ) ,坂上乙嬢 (おといらつめ) を生んだ。旅人の死後は大伴家の中心的存在となり,一族のことをとりしきったらしい。『万葉集』長歌6首,短歌 77首,旋頭歌1首を収め,万葉女流歌人中最も歌数が多い。歌風は理知的,技巧的で,社交的性格が濃く認められる。一方,繊細で鋭い感覚,新しい心境をうたった作品もある。この点を含め,またその生活環境からいっても,家持の歌に大きな影響を与えていると考えられる。

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デジタル大辞泉の解説

おおとも‐の‐さかのうえのいらつめ〔おほとも‐さかのうへのいらつめ〕【大伴坂上郎女】

奈良時代の女流歌人。大伴旅人の異母妹。万葉集に長歌6首、短歌78首がのっており、女流歌人中いちばん歌数が多い。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

大伴坂上郎女【おおとものさかのうえのいらつめ】

奈良時代の歌人。生没年不詳。大伴旅人の異母妹。大伴家持の叔母であり,またその妻坂上大嬢(おおいらつめ)の母。旅人の死後は家刀自(いえとじ)として,大伴家を支えた。
→関連項目笠郎女

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大伴坂上郎女 おおともの-さかのうえのいらつめ

?-? 奈良時代の歌人。
大伴安麻呂(やすまろ)・石川郎女(いらつめ)の娘。穂積(ほづみ)親王に寵愛(ちょうあい)され,親王の死後は,藤原麻呂に愛された。のち異母兄大伴宿奈麻呂(すくなまろ)と結婚,大伴坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)らを生む。異母兄の大伴旅人(たびと)の死後,大伴家の後見役をはたした。「万葉集」に短歌77首(78首とも)などがおさめられ,女性としてはもっともおおい。
【格言など】酒坏(さかづき)に梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし(「万葉集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

大伴坂上郎女

生年:生没年不詳
奈良時代の歌人。父は大伴安麻呂,母は石川郎女で,異母兄に旅人,田主,宿奈麻呂,同母の弟に稲公がいる。生年については,文武2(698)年,大宝1(701)年などの説が行われ,また天平勝宝2(750)年までの作歌が明らかである。初め穂積皇子に嫁し,霊亀1(715)年の皇子との死別後は,藤原麻呂の妻問いを受け,さらに異母兄宿奈麻呂と結ばれて,坂上大嬢(大伴大嬢),二嬢を生んだ。坂上里に住んでいたため,坂上郎女と呼ばれる。旅人の妻大伴郎女が,神亀5(728)年に病没したあとを受けて,旅人が継いだ佐保大納言家の家刀自の役割を担ったらしい。加えて,天平3(731)年の旅人薨去ののちは,甥の家持を後見し,歌人としての出発に多大な影響をおよぼすとともに,娘の大嬢をその妻として嫁がせた。自身でも,二十数年の間に,長歌6首,短歌77首,旋頭歌1首を残している。『万葉集』の女性歌人としては,最も歌の数が多く,題材も,祭神歌,挽歌など多岐にわたる。作風は,洗練の度を加えた時代的な好尚を反映して,とりわけ恋の歌において即興的・機知的な才を遺憾なく発揮しており,さらに「夏の野の繁みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ」のごとく,恋を情趣的に美化する傾向にある。また「ぬばたまの夜霧の立ちておほほしく照れる月夜の見れば悲しさ」など,繊細な感覚をも示し,湯原王と並んで,天平の繊細優美な新風への移行期を代表する歌人といえる。<参考文献>青木生子「大伴坂上郎女」(『日本歌人講座1/上古の歌人』)

(芳賀紀雄)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおとものさかのうえのいらつめ【大伴坂上郎女】

奈良時代の歌人。生没年不詳。安麻呂の女,母は石川郎女(邑婆(おおば))。旅人の異母妹。家持の叔母,姑。初め天武天皇第5皇子の穂積親王に嫁し,親王の死後,藤原麻呂の寵(ちよう)をうける。のちさらに異母兄宿奈麻呂(すくなまろ)の妻となり,坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)・二嬢(おといらつめ)を生んだ。佐保の坂上の里に住んだのでこの名がある。神亀年間(724‐729),旅人の妻の死により大宰府に下り,旅人の身辺の世話をするとともに家持の養育にもあたったらしい。

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大辞林 第三版の解説

おおとものさかのうえのいらつめ【大伴坂上郎女】

奈良前期の女流歌人。安麻呂の女むすめ。旅人の妹。家持の叔母。穂積皇子、次いで藤原麻呂に嫁す。のち大伴宿奈麻呂に嫁し坂上大嬢おおいらつめを生む。万葉集に多く歌がみえ、才気豊かな歌風で知られる。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大伴坂上郎女
おおとものさかのうえのいらつめ

生没年未詳。『万葉集』の歌人で、奈良時代前中期に活躍。大伴安麻呂(やすまろ)の子、異母兄に大伴旅人(たびと)らがいる。出生は696年(持統天皇10)ごろか。13歳ごろ穂積皇子(ほづみのみこ)に嫁したが、20歳ごろ死別。のちに藤原麻呂とも一時関係があったが、異母兄の宿奈麻呂(すくなまろ)と結婚、しかし33歳ごろ死別。その後は、大伴家の家刀自(いえとじ)の役目を果たした。『万葉集』には84首の歌が収められ、万葉女流歌人として第1位を占める。その長期に及ぶ詠作は、恋と結婚の歌から、母として、家刀自として詠む歌に至るまでの、まさに女の一生を思わせる歌々である。恋の歌が圧倒的に多いが、とくに注意されるのは、恋愛関係にない身近な男性との相聞歌(そうもんか)である。恋のことばを媒介として親愛感を分かちあう挨拶(あいさつ)的な表現が当時の新しい歌風となるが、郎女はその中心的な担い手であった。一面では遊戯的でありながらも、人間一般の心情が観念的に純化されて表現される。「夏の野の繁みに咲ける姫百合(ひめゆり)の知らえぬ恋は苦しきものを」など、優れた叙情の歌が多い。[鈴木日出男]

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世界大百科事典内の大伴坂上郎女の言及

【藤原麻呂】より

…時に参議兵部卿従三位であった。《懐風藻》に五言絶句,《万葉集》に大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)との贈答歌がみえ,その左注によると彼女を妻としたことがあったらしい。【栄原 永遠男】。…

※「大伴坂上郎女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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