精選版 日本国語大辞典 「大伴坂上郎女」の意味・読み・例文・類語
おおとも‐の‐さかのうえのいらつめ【大伴坂上郎女】
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(芳賀紀雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
奈良時代の歌人。生没年不詳。安麻呂の女,母は石川郎女(邑婆(おおば))。旅人の異母妹。家持の叔母,姑。初め天武天皇第5皇子の穂積親王に嫁し,親王の死後,藤原麻呂の寵(ちよう)をうける。のちさらに異母兄宿奈麻呂(すくなまろ)の妻となり,坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)・二嬢(おといらつめ)を生んだ。佐保の坂上の里に住んだのでこの名がある。神亀年間(724-729),旅人の妻の死により大宰府に下り,旅人の身辺の世話をするとともに家持の養育にもあたったらしい。家持の作歌への開眼は,郎女によってなされたろうという。730年(天平2)帰京。旅人の死後も家刀自(いえとじ)として大伴家に重きをなした。《万葉集》の女流歌人としては第1の多作家であり,歌風は恋愛を歌っても,情熱的であるよりは社交的・知性的で,老巧の風がある。氏神を祭る長歌などもあり,素材の多方面なことも他の女流をぬいている。〈恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき言(こと)尽してよ長くと思はば〉(《万葉集》巻四)。
執筆者:川口 常孝
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生没年未詳。『万葉集』の歌人で、奈良時代前中期に活躍。大伴安麻呂(やすまろ)の子、異母兄に大伴旅人(たびと)らがいる。出生は696年(持統天皇10)ごろか。13歳ごろ穂積皇子(ほづみのみこ)に嫁したが、20歳ごろ死別。のちに藤原麻呂とも一時関係があったが、異母兄の宿奈麻呂(すくなまろ)と結婚、しかし33歳ごろ死別。その後は、大伴家の家刀自(いえとじ)の役目を果たした。『万葉集』には84首の歌が収められ、万葉女流歌人として第1位を占める。その長期に及ぶ詠作は、恋と結婚の歌から、母として、家刀自として詠む歌に至るまでの、まさに女の一生を思わせる歌々である。恋の歌が圧倒的に多いが、とくに注意されるのは、恋愛関係にない身近な男性との相聞歌(そうもんか)である。恋のことばを媒介として親愛感を分かちあう挨拶(あいさつ)的な表現が当時の新しい歌風となるが、郎女はその中心的な担い手であった。一面では遊戯的でありながらも、人間一般の心情が観念的に純化されて表現される。「夏の野の繁みに咲ける姫百合(ひめゆり)の知らえぬ恋は苦しきものを」など、優れた叙情の歌が多い。
[鈴木日出男]
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生没年不詳。万葉第3期の歌人。父は安麻呂,母は石川内命婦(うちのみょうぶ)。最初穂積親王に嫁し,その死後,藤原麻呂に求婚される。のち異母兄宿奈麻呂(すくなまろ)との間に坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)・坂上二嬢(おといらつめ)の2女を生んだ。名は,平城京北方の坂上里に住んだための通称。兄旅人(たびと)の死後,家刀自(いえとじ)として大伴家を切り盛りしたらしい。「万葉集」に長歌6首,短歌77首を残す。機知に富んだ贈答歌に特徴があり,平安和歌に通じる歌風が注目される。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…時に参議兵部卿従三位であった。《懐風藻》に五言絶句,《万葉集》に大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)との贈答歌がみえ,その左注によると彼女を妻としたことがあったらしい。【栄原 永遠男】。…
※「大伴坂上郎女」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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