日本歴史地名大系 「穴川村」の解説 穴川村あながわむら 三重県:志摩郡磯部町穴川村[現在地名]磯部町穴川伊雑(いぞう)ノ浦最奥の南岸、池田(いけだ)川河口右岸の低地にあり、湾を隔てて北に下之郷(しものごう)村がある。「氏経卿引付」寛正三年(一四六二)一〇月一七日の内宮政所大夫氏秀書状などには穴河、「伊雑宮旧記」(内閣文庫蔵)・「志陽略誌」には穴川村とある。弥生期から古墳期の土器片の散布する大庄屋新田(おじやしんでん)遺跡がある。近世を通じて鳥羽藩領で、答志(とうし)郡に属した。 穴川村あながわむら 京都府:亀岡市穴川村[現在地名]亀岡市吉川(よしかわ)町穴川余部(あまるべ)村の西に続く村。西は吉田(よしだ)村。村内を篠山街道(山陰道)が通る。天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば亀山藩領(高三六三石余)、旗本前田半右衛門知行所(五六石)の相給地、戸数三〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by