立川一丁目(読み)たちかわいつちようめ

日本歴史地名大系 「立川一丁目」の解説

立川一丁目
たちかわいつちようめ

[現在地名]鳥取市立川町一丁目

上(うえ)町の南に続く広徳(こうとく)寺の土手を越えて椿(つばき)谷に行く角までの山沿いの町。当初法美(ほうみ)郡立川村のうちで立川村新(しん)町とよばれていたが、元禄一一年(一六九八)在構から町奉行支配となり、城下町人地四八町の一町として起立された。武家屋敷地が混在する(町方御定)。町名の由来は、因幡川の下流邑美(おうみ)郡・法美郡の境を流れる立川が山下の沼に流れ込んでいたことにちなむという(鳥府志)。安永七年(一七七八)の家数七一、表口間数合せて一六九間余、町役負担六五人余、賦課比率の等級は下の上に定められる(町方御定)。正徳二年(一七一二)には広徳寺土手通に番所が設置され、毎夜在中から番人が出て警備に当たった(因府年表)。当町内に法美郡・邑美郡境の杭が立てられていた。嘉永元年(一八四八)一〇月の前藩主池田慶行の葬儀の際には、奥谷(おくだに)(現国府町)へ向かう葬列に差支えるとして一時撤去されている(在方諸事控)。

一丁目の東、山の手に椿谷と肥後(ひご)ヶ谷の二つの谷が並ぶ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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