池田忠雄(読み)いけだ ただかつ

美術人名辞典の解説

池田忠雄

江戸前期の大名。備前岡山藩池田家二代当主。輝政の三男で、家康外孫幼名は勝五郎。大坂の役に従軍した。兄忠継歿後、岡山藩主となり、正四位参講に至る。新田干拓や堀の開鑿など、耕地改良に努めた。寛永9年(1632)歿、31才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

池田忠雄 いけだ-ただかつ

1602-1632 江戸時代前期の大名。
慶長7年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主池田輝政(てるまさ)の3男。母は徳川家康の娘督姫(とくひめ)(良正院)。慶長12年松平姓をゆるされる。15年淡路(あわじ)(兵庫県)6万3000石をあたえられて洲本(すもと)藩主。20年兄忠継(ただつぐ)の跡をつぎ,備前岡山藩主池田(松平)家2代となる。38万石のうち播磨(はりま)の宍粟(しそう)・赤穂(あこう)・佐用(さよ)の3郡10万石を弟輝澄(てるずみ)・政綱・輝興(てるおき)に分与。河合又五郎事件をめぐり旗本と対立した。寛永9年4月3日死去。31歳。

池田忠雄 いけだ-ただお

1905-1964 昭和時代の脚本家。
明治38年2月5日生まれ。昭和4年松竹蒲田(かまた)の「円タク坊ちゃん」でデビュー。作品に小津安二郎監督の「父ありき」,島津保次郎監督の「浅草の灯」,吉村公三郎監督の「暖流」など。昭和39年5月12日死去。59歳。東京出身。早大卒。

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世界大百科事典内の池田忠雄の言及

【淡路国】より

…【小川 信】
【近世】
 1581年(天正9)織田信長の部将仙石秀久が入部,85年豊臣秀吉の四国平定後脇坂安治が3万3000石の洲本城主として,その伊予大洲移封後には,1610年(慶長15)池田輝政の三男忠雄が6万3000石領主として居城を紀淡海峡にのぞむ由良にかまえた。15年(元和1)池田忠雄が本家岡山藩主として転出,淡路は収公後,あらためて6万3000石余が徳島藩主蜂須賀至鎮(よししげ)に加封された。その後18年岩屋周辺1万7000石が加増され,以後淡路全島は蜂須賀氏の領するところとなった。…

【伊賀越の敵討】より

…江戸時代の著名な敵討の一つ。備前岡山藩主池田忠雄の家臣に渡辺数馬という者があり,1630年(寛永7)7月その弟源太夫が同藩士河合又五郎に殺された。数馬は又五郎の父半左衛門に引渡しを求めたが応ぜず,又五郎を江戸に逃がし,旗本安藤治右衛門,久世三四郎らがこれをかくまった。…

【池田氏】より

…(1)南北朝・室町・戦国期の摂津の国人。橘諸兄の後裔とする伝承があるが不詳。1363年(正平18∥貞治2)の幕府文書に摂津守護赤松光範の被官として池田親政とあるのが初見。南北朝中期,守護より加茂庄(現,兵庫県川西市)の半済地をあてがわれ,また垂水西牧小曾禰村(現,豊中市)の番頭にも名がみえる。室町期には守護細川氏の有力被官となり,伊丹,吹田両氏と並ぶ摂津屈指の土豪に成長した。加茂,垂水のほか,細川庄,桜井郷など各荘園の代官を兼ね,給分を資本に高利貸も行って,応仁の乱ころは年収1万2000貫,〈富貴無双〉とうたわれた。…

【播磨国】より

…旧国名。播州。現在の兵庫県西南部。
【古代】
 山陽道に属する大国(《延喜式》)で,その東端に位置した。明石,賀古,印南(いなみ),飾磨(しかま),揖保(いいぼ),赤穂,佐用,宍粟(しさわ),神崎,多可,賀茂,美囊(みなき)の12郡よりなる。国司四等官のうち大国にのみ置かれる大目(だいさかん)が712年(和銅5)に播磨国にいるので(《続日本紀》),8世紀初めより大国であったことがわかる。国府は《和名抄》によれば飾磨郡にあり,所在地はいまの姫路市で,姫路城の東または南東部と推定される。…

※「池田忠雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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