立志社跡
りつししやあと
板垣退助・片岡健吉・林有造らが中心となって設立された立志社は、明治七年(一八七四)四月一〇日、帯屋町の兵屯で発会、当初は九反田の旧開成館内に事務所を置いたが、まもなく京町西端にあった旧町会所を山内家より五〇〇円で買取り、この地に移った。立志社は自由民権運動の推進に中心的な役割を果したが、立志学舎の経営、民権思想を広めるための出版局高陽社の開設と「土陽雑誌」「海南新誌」の刊行、立志社法律学課の設置もこの運動の一環であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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