自由民権運動推進の中心となった代表的政社。1874年4月,高知に帰郷した板垣退助が片岡健吉,林有造らと結成した。天賦人権を宣言して〈人民は国の本〉であると主張,〈人民の知識を開達し,気風を養成し,福祉を上進し,自由を進捗する〉ことを目的に掲げた。社長には片岡が就任し,立志学舎や法律研究所を設立して民権思想の普及をはかるとともに,士族救済のための殖産興業活動に着手。商社を経営し,官山の払下げを出願するなどした。75年2月,全国の同志の結集を計画して大阪で愛国社を結成したが,板垣の参議復帰などにより自然消滅のかたちとなった。構成員は旧土佐藩の士族で,初期にはとくに士族的な国権意識が強く,74年の台湾出兵に際しては,義勇兵を編成してこれに協力したいと志願した。77年の西南戦争の際には西郷軍に呼応しようとして社内に動揺をきたし,40余名が逮捕された(立志社の獄)。しかし他方で77年6月,天皇にあてて建白書を提出し(却下),政府の専制政治を鋭く批判。国会の開設,立憲政体の樹立を要求した。これは,政府の富国強兵政策に対する民衆の切実な不満をとりあげたことによって,民権運動が国民的運動へ発展する転機となった。同年より高知県下で公開の政談演説会を開始し,また機関誌《海南新誌》《土陽雑誌》を発行。翌78年4月,愛国社の再興を決定して西日本各地に遊説員を派遣し,9月,再興にこぎつけた。以後,愛国社の中心として国会開設請願運動を推進した。一方,80年11月,県下民権派の連合組織,海南協同会を結成。81年1月からは県政に進出した(2年後,保守派の巻返しにより一斉に更迭される)。同年5月,日本憲法見込案の起草に着手。10月,自由党の結成にあたっては,幹部をほぼ独占した。82年2月,高知県下での自由党組織化に着手し,5月,海南自由党を結成。翌83年3月,立志社屋を後楽館と改称して海南自由党本部をおき,発展的に解消した。中心メンバーには,ほかに植木枝盛,坂本南海男らがいる。かつては先駆的・指導的な役割から民権運動の本流とみなされていたが,近年,豪農層や都市知識人の運動が重視されるにつれて,その評価は相対的に低下してきている。
執筆者:大日方 純夫
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自由民権運動の指導的結社。1874年(明治7)4月16日に板垣退助(たいすけ)、片岡健吉、林有造(ゆうぞう)らが中心になって、自由民権運動を盛んにするために高知に結成し、83年海南自由党と改称した。このほか立志社を名のるものとしては、広島立志社、讃岐(さぬき)立志社、高松立志社、丸亀(まるがめ)立志社、阿波(あわ)立志社があるが、普通に立志社というときにはこの高知の立志社をさしている。立志社は、最初は士族救済を第一の目標にし、西南戦争に呼応するなどしたが、指導者がそのため逮捕されてからは、植木枝盛(えもり)、坂本南海男(なみお)が理論的指導者となって自由民権思想に徹し、77年の立志社建白で国会開設、地租軽減、条約改正という自由民権運動の三大綱領を初めて提起した。78年の愛国社再興、80年の国会開設請願運動、81年の自由党結党の中心的役割を担い、同年起草の「日本憲法見込案」では人民主権、一院制議会、抵抗権、革命権を主張した。しかし、84年、民権運動が激化するに及んで自由党の解党を主張するに至った。
[後藤 靖]
『平尾道雄著『自由民権の系譜』(1970・高知新聞社)』▽『後藤靖著『自由民権』(中公新書)』
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自由民権運動の代表的地方政社。1874年(明治7)4月高知で結成。結社の動機は,民撰議院設立建白書の目標を追求し,また土佐派が東京での運動継続が困難になったため,郷里で政府批判の勢力拠点を構築することにあった。板垣退助を中心に,片岡健吉・林有造らを幹部として士族を結集,教育・士族授産・民権運動を展開した。77年西南戦争で西郷軍に呼応する動きもあったが機会を失し,片岡を代表として国会開設を要求する立志社建白を提出したが却下された。これを契機に愛国社,国会期成同盟,自由党へと発展する勢力の中心的政社として活動。自由党の創立に際し,高知で結成された海南自由党へと発展的に解消した。
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…結社の規模も町村単位,数ヵ町村単位,郡単位,数郡単位から府県単位にいたる多様な地域規模の結社が存在した。 士族結社として著名なものに,弘前の東奥義塾(1872年キリスト教主義による学校として出発,本多庸一らが著名),盛岡の求我舎(1873年創設,東北最初の民権政社,鈴木舎定ら),宮津の天橋義塾(1875年創設,小室信介・沢辺正修らが中心,社員約400),高知の立志社(1874年創設,自由民権運動の震源地,板垣退助・片岡健吉・植木枝盛ら),熊本の相愛社(1878年創設,池松豊記・有馬源内ら,社員580余)などがあるが,これらはおおむね旧藩時代の結合を土台とし,士族の新時代への適応のための相互扶助と学習活動を目的として,ときには旧藩主の支持と支援のもとに結成され,しだいに民権や国権の拡張を唱える政治結社の色彩を強めていった。士族結社は旧藩士としての情誼(じようぎ)的地縁的な紐帯(ちゆうたい)を背景としたから,その結合は固かったが,同時に他の階層を含みにくい閉鎖性を伴った。…
※「立志社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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