立野古墳(読み)たてのこふん

日本歴史地名大系 「立野古墳」の解説

立野古墳
たてのこふん

[現在地名]三重町上田原

大野川を臨む丘陵もと山西中腹に築かれた古墳時代前期の前方後円墳。昭和六三年(一九八八)発見された。県指定史跡。全長約六〇メートルと、大野川流域最大のみちうえ古墳に次ぐ規模を有し、同川中流域の主要な首長墳といえる。墳丘の前方部を大きく削平されているものの盾形の周溝部が残されており、墳形の復原は容易である。後円部三段・前方部二段の築成に加え、前方部端部に陸橋が付設されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む