竜徳村(読み)りゆうとくむら

日本歴史地名大系 「竜徳村」の解説

竜徳村
りゆうとくむら

[現在地名]宮田町竜徳

遠賀おんが川支流の犬鳴いぬなき川中流域、むつヶ岳の南東山麓に位置する。西は本城ほんじよう村、南は鶴田つるだ村、北は上新入かみしんにゆう(現直方市)中世粥田かいた竜得りゆうとく郷の遺称地で、地内に粥田浦かいたうらの小名を残す。戦国期には杉氏のりゆうたけ(鶴ヶ岳)古城があった。竜得・了徳とも記す(慶長国絵図など)。小早川時代の指出前之帳によれば、竜徳村の田三一町四反余(分米三二七石余)・畠三〇町四反余(分大豆一六二石余)。文禄三郡内知行方目録には「りうとく村」高四八九石余がみえ小早川隆景に与えられている。


龍徳村
りゆうとくむら

[現在地名]菊鹿町池永いけなが松尾まつお

初田はつた川の上流源にあり、東は木山きやま村、南は米原よなばる村と接する。天正一七年(一五八九)の上龍徳村検地帳によると田一二町六反余・畑一〇町五反余、分米二〇〇石、二二名の高持百姓がみえる。慶長九年(一六〇四)九月の龍徳村検地帳の田畑三八町八反余・分米四〇〇石は上・下龍徳村を合せたものであろう。近世は菊池郡深川手永に属した。寛永一二年(一六三五)の上龍徳村地撫帳によると田九町余・畑五町七反余、高二〇一石六斗余、うち下田・下々田が五町六反余、下畑・下々畑が三町四反余あり、三七名の高持百姓がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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